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おとどけカレシ

SS

  • SS15:おとどけカレシ新年会
  • SS14:海斗の誕生日(With You)
  • SS14:海斗の誕生日(With BLOSSOM)
  • SS13:暴走族総長(瀬戸 仁)
  • SS12:その唇に(瀬戸 仁)
  • SS11:仁と壱の撮影会
  • SS10:嫉妬の行末(瀬戸 仁)
  • SS09:BLOSSOMのクリスマス
  • SS08:壱とのクリスマス
  • SS07:遥とのクリスマス
  • SS06:海斗とのクリスマス
  • SS05:奈義とのクリスマス
  • SS04:葵とのクリスマス
  • SS03:仁とのクリスマス
  • SS02:酔ったお前を(瀬戸 仁)
  • SS01:初めての仁の家

SS15:おとどけカレシ新年会

――新年最初の仕事を済ませ、無事に『おとどけカレシ』のキャストたちは飲み屋に来ていた。

「はい! はいはい! 俺、ビール!」
「真中さん座って。わかってるから。……で? 他は?」

相変わらずはしゃぐ壱をなだめながら、奈義は全員の希望をメモに取っていく。

「俺もビール」
「はい、仁さんもビール」
「ナンバーワンは二つっすか!?」
「懐かしいネタ出してきやがって」
「東城は?」
「あ! なんかうめぇの!」
「じゃあ、この激辛トマトジュースにしておく」
「いやー、今年も芸人枠もらえて嬉しいなー!」

はいはい、と奈義は照れる葵を横目に、本当に『激辛トマトジュース』と加えてしまった。
そのすぐ下に自分の注文であるモヒートを書き入れ、一生懸命食い入るようにメニューを見ていたびびり二人に目を向ける。

「そっちの二人は?」
「も、もうちょっと待って……。遥くん、甘いのどれだと思う……?」
「カルーアミルクは? もしくはカシオレ……?」
「だっていっつもそれだよ……。俺たち全然去年から成長してない……」
「いいからさっさと決めてくんない?」

おろおろする二人がとりあえず『カンパリオレンジ』と『キティ』のカクテルを告げる。
それぞれ、名前がかわいいから、という理由で選んだらしい。
カンパリオレンジはともかく、キティはワインのカクテルである。
アルコールに強くない海斗が飲むにはハードルが高いと察し、奈義はそっと『アマレットジンジャー』にしておいた。
もともとキティがどんなものかわかっていない海斗なら、何に変更しようとわかりはしない。
それでも、とりあえず代わりに注文するものの説明はしておく。
そうこうしているうちにコースの料理が運ばれ、そして――。

「んじゃ、今年もよろしゃーっす!」
「なんでー乾杯の音頭がーいっちーさんなんすかー? 仁さんしかいないべ?」

やっと乾杯、というときになったのに葵がぶーぶー文句を言う。
どうやら仁の今日の和服姿がよほどツボに入ったらしい。
葵いわく『リスペクトゲージ』がマックスになったどころか、おそらく限界を超えてしまっている。

「俺は仁さんに新年一発目を決めてもらいてーの!」
「あおちゃんの裏切り者ぉ! 俺とコンビ組んでやってくって言ったじゃねーかよ!」
「音楽性の違いってやつだべ。ごめんな、いっちーさん……」
「茶番はいいから」

すぱっと止めたのはやはり奈義だった。
仁が感謝するようにちらりと奈義を見る。

「この二人だとうるさいんで、瀬戸さんお願いします」
「わーったよ」

奈義に頼まれ、仁はグラスを手にとった。
大騒ぎのせいで既にビールの泡は消えかけている。

「仁さん! 王子様モードで! ナンバーワンっぽく!」
「てめ、ちっと黙ってろ」
「仁ちゃーん、それじゃ王子さまじゃないぞぉ?」
「……っぜぇ」

囃したてる二人と、端でうろたえている二人と、そして苦笑しながらグラスを持った奈義と。
今日までやってきた仲間たちを見回し――仁は軽く笑った。

「みんな、去年は本当にお疲れ様。今年もお世話になることがたくさんあると思う。だけど、お互い力を合わせてBLOSSOM社を……ううん、『おとどけカレシ』を盛り上げていこうね。……それじゃ、乾杯」
「仁さあああああん」
「うるせぇな」

乾杯だと言っているのに、葵は飲むどころか仁にくっついて泣き真似を始める。
そんな葵になんとか激辛トマトジュースを飲ませようとする壱を、奈義がさりげなく引き止めていた。
その横では海斗と遥がアタリのカクテルを引いたことに悦んでいる。

「これ、甘くておいしいねえ……」
「ほんと? じゃあ次はそっちにしよっと」
「カンパリオレンジは甘くないの?」
「んー、ちょっと苦い? かも? ……あ、でも、そっか。カンパリってお酒のこと、前にやったゲームで……」

仕事に引き続き、飲み会ももちろんぐだぐだの大騒ぎになった。
途中からうざ絡みを始めた壱(といっても、壱は常日頃からうざがられている)の相手を、なんだかんだしてあげている仁や、仁を取られて面白くない葵に「俺の仁さんリスペクトポイント百選」を語られて聞き流す奈義、次はなんのカクテルが甘いか挑戦しようと既に出来上がりつつある海斗と遥。
いつもの『おとどけカレシ』たちと言えばそうだった。
ただし、ここに忘れてはならないもう一人の姿があって――。

「遅くなったな。お前たち」

ひ、と壱が息を呑んだ。
あの壱にそこまでの反応をさせる相手は一人しかいない。

「桜川さんも来たんけ! ひゅー!」
「俺が呼んどいた。前にそんな話あったし」

奈義によって登場することになったのは、彼らの雇い主でもある桜川だった。
硬直した壱の隣に座ると、その肩を抱いてにこやかに――壱にとっては非常に恐ろしい――笑みを浮かべる。

「今年もよろしく頼むぞ」
「はははー……もちろんでーす……。……ちくしょう、なんで陰険説教メガネとよろしくしなきゃなんねーんだよ。どうせそういうキャラ属性ならないすばでぃーの美人女教師とかにしろ」
「お前、わざと聞こえるように言ってるだろう」
「そしたら女教師になってくれるかなーって」
「なるか、バカ」

仕事ではないとなると、桜川も比較的穏やかだった。
ここにいる全員の本性を知り尽くしていることもあり、雇い主とキャストという関係ではあるものの、 場の空気は重くない。
おかげでずいぶんとまた盛り上がり始める。
誰もが楽しく過ごす中、ふと桜川が笑った。

「今年……か。とんでもないことが起きそうな気はするんだがな」

グラスを傾けた桜川の言葉はみんなの笑い声に紛れて誰の耳にも届かない。
今年、『おとどけカレシ』に何が起きてしまうのか――。
その答えは、桜川にもまだわからなかった。

SS14:海斗の誕生日(With You)


目を擦りながら起きた海斗は、最初に視界に入った影を見て口元を緩ませた。
腕の中で穏やかに眠る彼女からは、心から安心した気配が漂ってくる。

(……今日、一番最初に見られたのが……。ううん、今年一番最初に見られたのが君の寝顔なんて、最高の誕生日プレゼントだね)

ふふふ、と笑った海斗は彼女の身体を抱き寄せる。
しっとり吸い付くような手触りの肌が気持ちよくて、肩や背中を撫でてみた。海斗よりも若干体温が高くなっているのは、昨夜の余韻を残しているからなのかもしれない。

「おはようございまーす……」

一応、ひっそり声をかけてみる。そんな小さい声で目覚めるはずもなく、彼女はぐっすり夢の中にいたままだった。

(まぁ、いいんだけどね)

毛布の中から出した手を彼女の頬に滑らせる。身体のどの部分とも違う柔らかさが好きだった。
今、思い返してみてもまだ実感がないのは、こんなに好きだと思える相手が自分の彼女だということ。
しかも、最初は大嫌いだと思い切り拒絶されていたことだった。

「……ね。俺のこと、好き?」

昨日もたくさん言ってもらったのに、どうしてもまた聞きたくて尋ねてみる。
眠っている彼女が答えるとは思っていなかった。だけど、瞼を閉ざしたまま、唇が開かれる。
笑い混じりにこぼれ出た言葉を聞いて、海斗はくすっと声を上げた。

「ありがと。俺も君が大好きだよ」

今度こそ彼女は目を開けた。どうやら眠った振りをしていたらしい。

(ずるいよね。俺が声をかけてるって知ってたのに、寝た振りしてるなんて。……別に眠ってる君には変なことしないよ?)

二人はしばらく見つめ合って、どちらからともなくキスをした。
あんなにしたにも関わらず、なんだか初めてしたときのような甘酸っぱいキスに感じられて、少しだけ恥ずかしくなる。
キスは触れるだけで終わった。それ以上のキスなら、もう昨夜のうちに済ませてしまったから。

「……あ、照れてる」

彼女が海斗から離れようと身じろぎした。背を向けてしまったのを見て、後ろから抱き締める。
柔らかくて、温かくて、何よりも大好きな匂いがした。
人肌がこんなに甘く香ることを知らなかった海斗は、今も彼女が側にいるだけで鼓動を高鳴らせてしまう。

「だいすき」

子供のように呟いてから、まだそっぽを向いている彼女の肩にキスをする。
その耳が赤くなったのは気のせいじゃないだろう。でも、触れずにキスを続けてみた。
彼女の身体を隠す毛布を徐々に剥ぎ取って、白い肌をあらわにしていく。
背中に口付けた後は腰に手を伸ばし――。

「いたっ」

振り返った彼女が海斗の頬をつねった。
いい加減にしなさい、と怒ったような――でも顔は真っ赤になっている――声で言われてしまう。叱られたにも関わらず、海斗はへらへら力のない笑みを浮かべていた。

「誕生日なんだから、いいでしょ?」

なにが、と彼女は言った。
わかっているくせにそんなことを言って試してくる。
焦らされているのを悟り、海斗はさっきよりも強く彼女の身体を抱き締めた。
今度は彼女も海斗の背中に腕を回してくれる。

(君が欲しいよ)

「……今日は俺の誕生日プレゼントになって」

それなら昨日――と言いかけた唇を塞いでしまう。
――普段は気弱でびびりなお坊ちゃん。かつて演じていたのはドSで強気な俺様男。
でも、彼女は知っている。
ベッドの上だけではまた本性が変わってしまうことを――。

SS14:海斗の誕生日(With BLOSSOM)

貸し切られた個室の真ん中、飾り付けられたテーブルの上にはたくさんの料理が乗っていた。
その前に座らされ、いかにもパーティーグッズと思われる三角帽子をかぶせられているのは海斗だった。

「みんな、よく俺の誕生日を祝おうと思ったねぇ……」

しみじみ言うのも無理はない。
海斗の誕生日は一月一日。つまり元旦にあたる。
今、目の前に勢揃いしているBLOSSOMのメンバーも忙しいはずの時期なのだが。

「御国は俺を祝ってくれただろ。だったら、返さないと気分悪い」
「あくまでお返しって? またまたぁ! 奈義っち、超ノリノリで企画してたべ!」
「海斗くんを喜ばせてやらなきゃって言ってたの、奈義くんだよね?」
「あー、もう。うるさいな」

奈義は隠したかったことをあっさり暴いた葵と遥を睨みつける。
そこに、キッチンの方から仁と壱がやってきた。
その手にはそれぞれ追加のご馳走とケーキがある。

「それ……もしかして二人が作ったんですか?」
「そ! 仁ちゃんが料理担当でー、俺がケーキ!」
「……こいつ、ケーキ作るときだけは真面目な顔すんのな。腹立った」
「え!? 仁ちゃんそれどういうこと!」

いそいそとみんながテーブルを開けてご馳走とケーキを置いていく。
壱がそこに置いてあった缶ビールを開けた。海斗の前にあるグラスに注ごうとしたのを遥が止める。

「海斗くんはお酒弱いんですよ」
「たまにはぱーっとやろーぜ?」
「てめぇはいつもぱーっとしてるじゃねぇか」

仁からの鋭いツッコミに壱が騒いでいる間、さっさと奈義がノンアルコールのカクテルをグラスに注いだ。
微炭酸のそれは、海斗が以前、奈義と話していたときにおいしいと伝えていたもの。

「俺がおいしかったって言ったの、覚えてたんだ」
「こんぐらいすぐ覚えるだろ。職業柄」
「あはは、そうかも」

ここにいる全員は『おとどけカレシ』として、普段、女性たちに幸せな時間を届けている。
相手の好きなものを把握し、サプライズとして用意するのはもはや様式美ですらあった。

(まさか、自分がそうされるなんて思わなかったけど。……俺はあんまりサプライズするカレシじゃないしなぁ)

海斗はいつも俺様ドSキャラを演じている。
サプライズをすることはあっても、その数はそう多くなかった。おそらくこの中で一番手馴れているのは仁だろう。その次はセレブキャラの奈義だろうか。

(葵さんはサプライズされる側だよね、きっと。はるくんもそうかな。壱さんは……どっちもうまくこなしそう)

「ぎゃー! 仁ちゃんが拳握り締めてるー!」
「真中さん、それ、自業自得」
「いやああああ!」

(……『おとどけカレシ』でいるときのこと、一番想像できないのって壱さんなんだよね)

苦笑しながら、海斗はグラスに注がれた飲み物を見た。
しゅわしゅわと泡が底から表面に上っていく。

「……奈義くん、俺ね」
「なに?」
「気弱な自分が嫌なのもあって、『おとどけカレシ』になれたことをよかったって思ってた。だってそこでなら、強くてかっこいい御国海斗でいられるから」
「……で?」
「でも、もう一個『おとどけカレシ』になってよかったって思うことがあったよ。……みんなに出会えて、本当によかった」
「……バカじゃない?」

吐き捨てるように言いながら、奈義は肩をすくめる。
そして、海斗を小突いた。

「俺は逆によくなかったよ。ただでさえ家で弟の面倒見なきゃならねぇのに、職場でも面倒見なきゃいけない相手がいるからな」
「え? それって俺のこと?」
「御国と、真中さんと、陽向かな」
「えっ。奈義くん、俺も?」

びっくりした遥が海斗と顔を見合わせる。

「俺はセーフ! っしゃあ!」
「東城は瀬戸さんに言われればおとなしくなるし」
「そりゃあそうに決まってんべ? 仁さん超リスペクト!」
「うるせーぞ、葵」
「はいっ! 仁さん!」

(あはは、おもしろい)

「なあなあ、俺のケーキ乾いちまうだろ? さっさと食って!」
「壱さんのケーキ、楽しみです」
「はっはあ、ついに海斗坊ちゃんもロウソクプレイに目覚め――」
「そういうドSじゃないです!」

咄嗟に否定した海斗を、全員が驚いたように見る。

「……海ちゃん、意味わかってて言ってるんけ?」
「いや、今のはそういうことだろ。まさか海斗がな……」
「御国、あとでちょっと話聞かせて」
「奈義くん、なにを聞くつもりなの……」
「決まってるだろ。誰がそんなこと教えたのかだよ」
「にしし、俺もその話知りてぇ!」
「お……男の子なら誰だってそのくらいの知識はあるでしょ!?」

(なんで俺のときだけ、みんなそういう扱いなの!)

海斗はひたすらあわあわして追及から逃れようとする。

(っていうか、この間壱さんが喋ってたじゃん! ドSなんだからそのぐらいやらないのかって! 悪いのは俺じゃなくて壱さんだからーっ!)

まさかこんな誕生日になってしまうとは思わない。
普段は怖いと思っている桜川の鋭い静止を、今ほど望んだときはなかった――。

SS13:暴走族総長(瀬戸 仁)

なんとなく自分の位置が定まらなくてもぞもぞしていると、仁がすぐ近くで笑った。

「なにしてんだ」

その声に、さっきまでの熱っぽいものは感じられない。
ただ、まだ広い胸には名残があるような気がした。
触れてみると、ぴくりと反応される。

「……まだ足りねぇのか?」

耳元で囁かれながら腰を撫でられると、それだけでほんの少し前のことを思い出してしまう。
この声がどんな風に自分の名前を呼んで、大きな手がどんな風に触れて、そして……。

「……今日はこのぐらいにしとけ。じゃねぇと、明日も仕事なんだろ。おやすみのキスならしてやるから」

まだ汗がにじんでいる額にキスが落ちた。
顔を上げると、唇にも。
眠るよう促してくる割に、仁が眠そうには見えなかった。
それにつられているのか、単純に余力が残っているのか、同じく眠くない。
仁自身、それは不思議に思っているようだった。

「お前、今日は夜更かしだな。いつもさっさと寝るくせに」

首を横に振る。
この人は、疲れ果てて眠ってしまう理由が誰にあるのか考えたことがあるのだろうか?
今日だっていつもと同じか、それ以上にじっくり優しく……。
途中まで考えてから、もう一度首を横に振る。
顔を仁の胸に押し付けたのは「赤くなってる」とまたからかわれるのを避けるため。
仁はそういう顔を見るのが好きで、わざと意地悪なことをする。
今日は負けない――と気持ちを新たに恋人を見つめると、また、笑われた。

「だから、誘うな。……俺の理性なんかねぇようなもんだって知ってるだろ。また襲うぞ」

かぁっと身体が熱くなっていく。
今はのんびりしているが、そもそも今日はネグリジェというものに挑戦したせいで、仁の言う『襲われた』状態になってしまったのだった。
せっかく身につけたそれを、仁は果たして何分きちんと見てくれたことか。
それを思い出し、もう襲わないでほしいと懇願する。
……鼻で笑われたのは三度目だった。

「そういうこと言うからだめなんだって、なんで言われなきゃわかんねぇんだ」

やけに密着している時間の長い、濡れたキスが降る。
こんなはずでは、と思いはするものの、やっぱりキスされると嬉しい。
もっと仁にくっついていたくて、すりすり顔を寄せてみる。
溜息と一緒に頭を撫でられた。

「本の読み聞かせでもしてやらなきゃ眠れねぇってか?」

そう言われてふと思いつく。
どうせ聞かせてもらうなら、仁の過去の話がいい。
できれば、暴走族の総長としてあれこれやんちゃしていたとき。
目を輝かせたことに気付いたのだろう。
仁は若干気まずそうに――しかし、満更でもなさそうに――口を開く。

「大しておもしろくねぇけどな」

案外抵抗なく仁は語り始める。
あまりにも若く、子供じみていた過去の話を――。

***

「瀬戸さん! お待たせしやした!」

屋上で一人、時間を潰していた仁は聞こえた声に顔を向ける。
駆け寄ってきたのは、最近舎弟にならせてほしいと教室まで飛び込んできた後輩だった。

「あ?」
「焼きそばパンっす! そろそろ腹が減るんじゃねぇかと思って!」

(……それ、購買の)

一瞬、仁が腰を浮かせかけたのも無理はない。
購買の焼きそばパン。それはこの学校においてすさまじい意味を持つ。
売店が開いた瞬間にはもう売り切れているという、存在さえ疑われるほど人気のパンだからだった。
元三ツ星シェフが作る焼きそばパンだからと囁かれているが、まぁ噂にすぎないだろう。

「瀬戸さんにどうしても食ってもらいたくて! 俺、今日朝六時にはもう校門の前にいたんすよ!」

(はえーよ。……ってか)

くしゅんと後輩がくしゃみをする。
いくら天気がよくても最近は冷え込んできた。朝六時に学校の前で待っていたら、風邪のひとつも引いて当たり前だと言える。

(……バカか)

「頼んでねぇよ」

仁はさらっとそう告げた。
もし犬だったらちぎれんばかりに尻尾を振っていただろう後輩が、見るからにしょんぼりする。
そんな表情の変化は放っておいて、仁は更に続けた。

「てめーで手に入れたもんなら、てめーで食え。俺もそうする」
「でも、これ超人気の……」
「だったら余計いらねぇ。自分で手に入れるもんだろーが、そういうのは」
「せ……瀬戸さん……!」

仁としては割と当たり前のことを言っているにすぎない。
それが熱狂的な信者を増やしているのだと知りはしなかった。

「俺のために余計なことはすんな。風邪引かれてうろつかれる方が迷惑なんだよ」

そう言うと、仁はだるそうに立ち上がる。
立ち尽くす後輩を一度だけ振り返り、パンを指さした。

「食った感想だけ聞かせろよ」
「は、はい……!」

後輩はぶんぶん首を振って仁の言葉に頷いた。
この様子では作文用紙に何百枚感想を書き上げてくるかわからない。
こんな舎弟たちはこの学校に何十どころか何百といた。
男だけならともかく、その顔のよさから女子生徒たちにも騒がれ――。

***

「いって」

鍛え上げられた腹筋を軽くつねると、仁は話を中断させて睨んできた。

「んだよ」

女子生徒の話はいらないのだと伝える。
仁がちやほやされるのは当たり前として、もしかしたら登場するかもしれない過去の恋人の話なんて聞きたいはずがなかった。
見知らぬ誰かにも自分に向けたような優しい囁きをしたのだと思うと――。

「だからいてぇって」

叱られて顔を上げると、噛み付くようにキスされる。

「嫉妬すんな。いもしねぇ女に」

キスの合間に言われて、心を読まれていたのだと悟る。
きっといつものように表情からバレてしまったのだろう。見逃してくれない辺り、仁はずるい。
そして、それを面白がるのも仁のずるくて許せないところだった。

「俺の恋人はお前だろ? 忘れてんなら思い出させてやる」

仁の腹部をつまもうとした手はやすやすと捉えられた。
覆いかぶさられ、シーツに縫い止められてしまう。
自分を見下ろす仁の姿ならさっきも夢に出るくらい見た。
まさか寝ろと言われていたのに再びこんな展開になるとは思わず、どう逃れようか混乱する。
――けれど、すぐに諦めた。
仁から逃れる術なんてあるはずがない。
そうして結局、次の日は寝坊する羽目になってしまうのだった。

SS12:その唇に(瀬戸 仁)

ドアが開く微かな音に目を開ける。
真っ暗だった部屋に細い光が入ってきて、誰かが来たのだとわかった。
誰か、なんて考えなくてもよくわかっている。

「……寝てんのか?」

聞こえてきたのは大好きな恋人の声。
こちらの様子を窺っているのか、仁の声は大きくない。

「……クソ、もう少し早く帰ってくりゃよかった」

次に舌打ちが聞こえる。
そして、足音。
どきどきと心臓が音を立て始めていた。
別に「起きてたよ」と仁を迎えればいいのにそうしないのは、なんとなくこのまま反応を見ていたかったからで。

「……はぁ」

ベッドのすぐ側に仁が近付いた。
ぱち、と枕元の電灯がつく。
瞼を閉じている限り眩しさはそこまで感じない。あくまで寝た振りをしながら、仁がなにをしようとしているのか待ってみることにする。

「……起きろよ。俺が帰ってきたんだから」

なんとも傲慢な呟きが聞こえたかと思うと、唇に柔らかい感触が落ちた。

「……おい」

またキスが降る。これがキスじゃないと呑気に思えるほど、この人と過ごした時間は短くない。
たとえ始まりがたった一週間からだったとしても、だ。

「なぁ」

仁が、あまり仁らしくなく呼びかけてくる。
とても近い場所で吐息が聞こえるのは心臓に悪かったものの、それでもまだ我慢してみた。
そうすると、今度は頭の下に仁の手が入ってくる。

「おかえりって言わねぇのかよ。……お前に出迎えてもらわねぇと、帰ってきた気がしねーんだ」

珍しく甘えているというか、弱っている様子が感じられた。
それを知ってまたどきどきしてしまう。でも、まだ焦らしたい。

「……おーい」

本当に起きてほしいなら揺さぶればいいのに、仁はそうしない。
考えていることならなんとなくわかった。
いつも気を使ってくれる仁は、疲れているのだからこのまま寝かせておいてやりたい、と思っているに違いない。同時に、自分で言っているように起きて出迎えてほしいとも思っているのだろう。
さすがに申し訳なさを感じて起きようとした瞬間、頭を抱え込んでいるのとは反対側の手が寝間着の裾をまくりあげた。

「……っ」

直接、肌に触れてきた仁の方が声を押し殺す。
なにかこらえているようには感じられたものの、正直、こちらはもうそれどころではない。
仁が、触れている。
お腹をくすぐるように、それでいてなにか危険な熱を引き出そうとなぞりあげて。
へその周りをつついたかと思えば、今度はもう少し上に指を滑らせてくる。
大変困ったことになってしまった。
先に眠るからいいだろうと下着をつけていない。
このまま仁が手を伸ばせば、きっと――。

「……ん?」

ひくりと喉が鳴ったのを聞かれてしまった。
慌てて――ぎゅっと目をつぶり直す。

「……へえ?」

どうして仁が面白がるように呟いたのか、理由はわからなかった。
だから一生懸命目を閉じていたのに、触れていた手から遠慮が消える。
びくっと思い切り肩が跳ねて、同時に声が漏れてしまった。
もうとっくに隠しきれなくなっているのに、仁はやめてくれない。
声と一緒に荒い息が何度もこぼれて、うっかり仁の名前まで呼んでしまう。
触れるだけでは飽き足らず、身体にいくつもキスをされてしまった。
一際大きく声が出てしまい、つい、いつもの癖で口を押さえてしまう。

「やっぱ寝た振りしてたんだな」

恐る恐る目を開けると、余裕のない表情をした仁と目が合ってしまった。

「んなことだろうと思った。……わかりやすいんだよ、お前の反応」

口を押さえたままの手にキスを落とされる。
別に悪いことをしようと思ったわけじゃないと首を横に振ったけれど、どうも分が悪い。

「なぁ。……このまま無事に眠らせてもらえると思ってねぇだろうな」

つつ、と手を撫でられる。
その指がさっきまで身体に触れていたことを思い出すだけで、顔が熱くなってしまった。

「だからお前、その顔……っ」

仁の端正な顔がゆがむ。
ひどく焦っているようにも見えた。

「……っ、今日、ほんと無理。お前のこと欲しすぎて」

声が出ないように蓋をしていた手を、ゆっくり掴まれる。

「こっちにもキスさせろ。……んで、声ももっと聞かせろ」

仁の距離が近付いて、唇と唇が触れ合ってしまう。
さっきだってしたくせに、と言いたかったのに言えなかった。
あまりにも仁が必死な表情を見せていたせいで――。

「……無理、させねぇようにするから」

キスがもっと深いものに変わる。
そうしながら、仁はせっかくつけた電灯を消してしまった。
真っ暗な部屋に二人分の吐息と衣擦れが響く。
――あとはもう、ぬくもりを重ねるだけだった。

SS11:仁と壱の撮影会


ぱしゃぱしゃとシャッターを切る音が鳴り響き、それに合わせて眩い光が散る。
数え切れないほど写真に収められているのは今話題の『おとどけカレシ』でも特に人気の高い二人だった。いつも予約でいっぱいの二人がこうして揃っているのは、BLOSSOM社を宣伝するために撮影を行うためである。
非常にカメラ映えする被写体ということもあってか、カメラマンの熱も尋常ではない。さっきから何度も何度も指示を飛ばしては、加工を入れてもいないのにきらめく二人を撮り続けていた。

「真中さん! 瀬戸さんの肩に手を乗せてもらってもいいですか?」
「構いませんよ。こうですか?」
「あっ、いいですねー! ちょっと流し目でこっち見てもらえます?」
「ふふ、照れくさいですね」

落ち着いた対応を見せたのは『おとどけカレシ』キャストの中で最年長の真中壱。大人の余裕の影に見え隠れするアダルティな色気が、数多の年下女性たちを虜にしてきた。
今もまた、その魅力を余すことなくカメラに向けている。

「瀬戸さんも、もう少し真中さんに寄ってもらっていいですか?」
「困りましたね。真中さんの隣じゃ、俺の魅力を伝え切れるか心配です」
「いやいや! 充分すぎるくらい伝わってます!」
「ははは、それならよかったです。やっぱりナンバーワンとしては負けたくないので」

直視することすら畏れ多く感じるほどの笑みを浮かべているのは、人気ナンバーワンをキープし続けている『おとどけカレシ』、瀬戸仁。彼の前ではどんな子供もプリンセスに変えられてしまうと言われるほどの王子様である。
再びシャッターが切られる中、照明担当の女性スタッフが口元を押さえていた。正確には鼻だろうか。確かに今の二人は刺激が強すぎて、鼻血のひとつやふたつ、出てしまうかもしれない。
――これが『おとどけカレシ』なのか。
壱と仁以外、そこにいるすべての人間がそう思った。
なぜ世の女性たちが高額な金をはたいて彼らとの七日間を求めるのか、こうして目の前にしてしまえば嫌というほど理解できてしまう。
たった七日でも、こんな恋人ができれば充分だろう。しかも彼らはその間、本物の恋人のように接してくるのだというからとんでもない。
普段は絶対に行かないようなレストランへの予約も、極上のスイートルームで過ごす一晩もプランニングするのは彼らだった。かと思えば、遊園地や動物園など、気を使いすぎないデートも提案してくれる。
これで恋に落ちない女性などいないだろうに、そういった面での問題が起きたという話は聞かない。それは、別れ際の最後の一瞬まで徹底した恋人のプロなのだろうということを感じさせた。

「カメラさん、瀬戸君よりこっちをかっこよくお願いしますね?」
「あ、ずるいですよ。カメラマンさん、俺をお願いします」
「は……はい……!」

二人が同時に魅惑の笑みを向けたことで、カメラマンはついついほうっと溜息を吐いてしまう。自身も男だというのに、ここまでその雰囲気に魅せられてしまうとはカメラマン自身思いもしなかった。

「カメラマンさん、大丈夫ですか? お疲れなら休憩を挟んでも……」
「あっ、いえ、続けさせてください!」
カメラマンがこぼしたほんの一瞬の溜息さえ、仁は見逃さない。その完璧すぎる気遣いが彼を王子様たらしめている。

そして、その気遣いは同じキャストの壱にも向けられた。

「真中さんは? 俺の前にもソロで撮影があったんでしょう?」
「まぁね。でも、ナンバーワンの君に勝つためなら、多少の努力はしておかないと」
「真中さん相手だと気が抜けないなぁ。簡単に譲る気はありませんけど」
「そこは年上に譲ってくれてもいいんだよ? 世の中のかわいいお姫様たちも一緒に、ね」

どこかで「ひっ」という引きつった声が聞こえたような気がした。おそらく、女性スタッフの何人かが、今の意味深な発言と艶やかな眼差しに心臓を撃ち抜かれたのだろう。
こんなに非の打ち所がない男を見たことがない、と誰もが思った。
――しかし、その本性はもちろん違う。

(あぁ? まだ撮り続けんのか? ……おい。コレ、マジでいつ終わんだよ! クソが……っ)

輝く王子様スマイルの裏で、仁はこめかみをひくひくさせる。
その隣では壱もまた、その笑みからは想像もつかないことを考えていた。

(早く帰ってー、ビール呑みながらエロ本読みてー! むっはー! 巨乳ちゃーん!)

あまりにも外面と違いすぎる内面は、彼らの顔に一切出てこない。
本当は口の悪い元暴走族総長だ、頭の中は下ネタでいっぱいの小学生バカだ、と言ったところで信じる人間は一万人に一人もいないだろう。
どんな相手にも最高の夢を見せる、究極の恋人たち。
これが『おとどけカレシ』だった。

(あー、仁ちゃん、今頃めっちゃ怒ってそー。さっさと終われって思ってんだろーなー。まぁ、俺も思ってるけど! だって飽きちゃったもーん。写真めんどくせぇし、そろそろ笑いすぎて顔痛くなってきたし。ってか、俺を撮ったって面白くねぇだろ! どうせ撮るならパンチラ! グラビアアイドルの谷間! 焼き増しプリーズ!)

(クソ、真中のヤロー、どうせまたくっだらねぇこと考えてるんだろうな……。こんなに近くにいたら、俺までバカが移っちまいそうだ。これが終わったら、「飲みに行こう」だの、「AV鑑賞しよう」だの、ぜってぇ誘ってくるに決まってやがる。んなことに付き合ってられっか。ただでさえクッソなげぇ撮影で疲れてるってのによ……!)

「あれ? お二人とも、笑顔が強張ってませんか?」
「「そんなことないですよ?」」

たった今まで考えていたことは彼方へ吹き飛ばし、二人は同時にカメラマンへにっこり笑いかける。
それはまごうことなき、プロの姿だった――。

SS10:嫉妬の行末(瀬戸 仁)

(あいつ、珍しくおせーな……)

今日は大切な彼女とのデートだった。
仁はきっちり十分前に到着し、いつ彼女が来てもいいように辺りに気を配っている。
それなのになかなか現れる気配がない。
この日、この時間を指定したのは彼女であることを考えると、首を傾げざるをえなかった。
待つことを苦には思わない。
ただ、いつもなら連絡も一本も入るだろうと少し心配する。

(どっか転んでたりしねぇよな。もしかしたら、急に呼び出し食らってシマ争いに……って、俺とはちげーんだ。そんな事にはなってねぇだろ。じゃあ、なんだ? 休日なら仕事はねぇだろうし……。……やっぱ事故ってんじゃねぇか? 俺に連絡できねぇ状況なら、こっちから――)

たた、と走る足音が聞こえて顔を上げる。
散々目に焼き付けた笑顔が仁の名前を呼びながら駆け寄ってくるところだった。

(……ったく、心配させやがって)

ほっと一安心したことは彼女に見せない。
申し訳なさそうに下げられたその頭に、ぽん、と手を置く。

「遅くなるなら連絡しろ。なにかあったのかと思ったじゃねぇか。……まぁ、お前がわざとお仕置きしてもらいたくて連絡しなかったって言うなら、期待に応えてやってもいいけどな?」

わざと煽るように耳元で囁くと、白かった肌が一気に赤く色付いた。
彼女は何度も謝罪を繰り返しながら、どうして遅れたのかその理由を告げる。

(服装選びに悩んでたって、そんなことぐらいで……)

そう言われて初めて、仁は彼女の服を見た。

「っ……!?」

普段は動きやすい格好を好むくせに、今日は――かなり攻めたミニスカートだった。
仁が絶句しているのを見て、彼女は得意げに胸を張る。
いつも驚かされてばかりだから、たまには驚かせたかったのだと言った。

(驚く……とか、そういう問題じゃ……ねぇ……だろ……?)

もしここに元同僚の真中壱がいれば「性癖直撃ミサイル」と叫んでいたことだろう。
そのぐらい、いつもと違って女の子らしいスタイルの彼女は仁のいろいろなものを刺激した。

「……あー、うん。かわいいよ。すげーかわいい」

彼女が望んでいる言葉を、お世辞抜きに告げる。
ますます調子に乗った彼女は、どこに視線を向けていいのかわからなくなっている仁の頬を軽く指でつついた。
――今日は仁さんの方が照れてる。
ふふふと勝ち誇った笑みを浮かべられ、仁は悔しげに唇を噛んだ。

(う、るせ……このバカ……っ)

散々、数多の女性をときめかせてきた自分が、まさかミニスカート程度でどきどきさせられるとは思ってもいない。
その油断が、仁から余裕を奪っていた。
しかし、だんだんそれも落ち着いてくる。仁が彼女にときめくのも、理性を吹き飛ばしそうになるのも初めてのことではなかったからだ。
頭が冷静になればなるほど、仁はある種の苛立ちを感じ始める。

(……お前さ。そんなかわいい格好して、他のヤツに目ぇ付けられたらどうするんだよ、おい)

仁を驚かせ、しかも照れさせた。そのことで上機嫌になった彼女は、デートをせがんで手を引っ張る。
細い足が動くたび、ひらりひらりとスカートの裾が揺れた。

(俺が気を付けてやらねーとな……)

そう固く誓って彼女についていく。
それが、仁にとってすさまじいストレスになるとは知りもせず。

***

(こいつ……!)

仁が作り慣れた笑みを消しかけたのは一度や二度ではない。
それもこれも、彼女が能天気でまったく危機感のない行動を繰り返すせいだった。

「さっきも言ったよな? 走るなって。俺の言うこと聞いてなかったのか?」

彼女が仁の言うことを聞かなかった理由はきちんとある。
たまたま仁が先に行ったタイミングで信号が赤になってしまい、二人は車道を挟んで離れ離れになってしまった。
向こう側でしょぼくれた顔をしながら待つ彼女を、ついさっきまではかわいらしいと思っていたのに。

(走ったらスカートの中身が見えるだろうが……!)

今度はもう離れ離れにならないように、と彼女は急いで手を握ってきた。
それもたまらなくかわいいとは思ったものの、気にかかるのは無防備なその足だった。

「走るな。次、走ったらもう帰るからな」

え、と小さく声が聞こえた。
いつの間にか手に絡んでいた指がほどけて離れていく。
ここまで来るとさすがに彼女も仁の不機嫌に気が付いていた。
ただ、原因がわかっていないらしく、どうすれば仁の機嫌が治るのだろうとおろおろしている。
やがて彼女は困ったように眉を下げ、今日の遅刻を謝罪した。

(それじゃねぇ)

仁が首を横に振ると、泣きそうな顔になってしまう。
最後までデートしてほしい。ずっと一緒にいたい。悪いことがあったなら教えて。
一生懸命すがってくる彼女を見下ろし、仁はその額をぴしっと指ではじいた。

「じゃ、デートコース変更だ。……ここまで来ると、俺の方が悪い気がしてきたしな」

彼女がぽかんとして、それからすぐ笑顔になった。
どこか喫茶店にでも入るのか、それとも近くの水族館か。もしかしたらプラネタリウムかもしれない。
彼女は本当に嬉しそうにデートコースを予想する。
それを、仁は軽く鼻で笑った。

(そんな場所、連れて行ってやるかよ。……キスできねぇだろ?)

***

仁が彼女を連れてきたのは、仁自身の家だった。
途中からそれに気付いた彼女は不思議そうにしていたものの、そこが獣の巣だとも知らずについてきてしまう。
仁は玄関のドアを開け、中に彼女を放り込んだ。
今度は後ろ手にドアを閉め、振り返った彼女を――壁に押し付ける。

「……なぁ」

小さな身体が仁と壁の間でびくっと震えた。
腕で閉じ込めてしまえば、もう逃げられない。

「お前、そんな格好していいと思ってんのか? おい」

不安げに首を振ったのを見て、仁は左手を彼女の腰になぞらせた。
そのまま下へと伸ばし、無遠慮にスカートをまくりあげる。
彼女はもちろん慌ててそれを止めようとした。仁にとっては笑ってしまうほど意味のない抵抗を、完全に無視する。
仁の大きな手が太ももに触れた瞬間、彼女は小さく声を上げた。
その唇を塞ぎたい気持ちは堪え、今日一日ずっと我慢してきたことを告げる。

「今日ずっと誰かがお前を見てねぇか、そればっかり考えてた。……その辺歩いてる男の目ぇ、全部潰してやろうかと思ったぐらいだ」

過激な発言と押し殺した声が彼女を怯えさせてしまう。
どうやらこれは仁のお気に召さなかったらしい、と判断したのか、ごめんなさいと声がした。
――もうこういう格好はしない。
みるみるうちにその目が潤んで、目尻が赤くなっていく。
それを見て――さすがに仁はやりすぎたと気付いた。

「あっ、おい、泣くな! 違う、俺が言いてぇのは、かわいい格好するなってことじゃなくて……!」

(ああ、クソ!)

「そういうのは俺にだけ見せてりゃいいんだよ……!」

情けない嫉妬を彼女の前にとうとう晒してしまう。
まだ触れたままの太ももにぎゅっと指を食い込ませ、彼女の額に自分の額をこつんと重ねる。

「これじゃ、ただの嫌な男だよな。悪い、分かってる。でも……お前のことになると、うまく頭が回んなくなるんだ。もっといい言い方ができるはずなのに、全部吹っ飛んじまって……。お前が俺のためにかわいい格好をしてくれたのはすっげぇ嬉しい。だけどさ、俺がかわいいって思うなら、世界中どこにでもいる他の男もそう思うってことだろ。そんなの……むかつくじゃねーか。お前のかわいいところは俺だけが知ってりゃいい。他のヤツになんか、見せんな。……頼む」

本当はキスしたかった。それを我慢できたのは、彼女がまだ泣きそうかもしれないと不安だったから。
仁がそう思う目の前で――彼女はくすくす笑っている。

「なに、笑って……」

必死すぎ、と笑いながら彼女は言った。
そして、ちょびっとだけ背伸びをし、仁にキスをする。

「……おい」

そんなことで怒らないでほしいと彼女は言う。
そこまで自分をかわいいと思ってくれるような人は仁しかいない、と。

(鏡、見たことねぇのか?)

あながち冗談でもなくそう思ってしまう。
そんな仁を抱き締め、彼女はぐりぐり顔を押し付けた。
――他の人が絶対に見られないいろんなものを全部見たくせに。
そんな呟きが腕の中で聞こえ、仁の頭の中でぷつりと音がする。

「いろんなものって、なんだよ?」

また、彼女がくすくす笑う。
知ってるはずだと言ったその視線が、部屋の奥へ移った。

(たまにこいつ、すげぇ小悪魔だよな)

「……見せてもらおうじゃねぇか。俺にしか見せねー『いろんなもの』ってやつを」

もう、彼女が自分で部屋の奥へ行く時間すら待てない。
仁はまだ笑い続けている彼女を抱き上げ、寝室へと運んだのだった。

SS09:BLOSSOMのクリスマス


聖夜、といえばクリスマス。
恋人たちが甘く幸せな時間を過ごす年に一度の素敵な日。
もちろん、恋人派遣サービスをおこなっているBLOSSOM社も――。

「大和、サボるな」
「……めんどくさい」
「ちょ、めんどくさいって! せっかくクリスマスなんだから盛り上がっていこーぜ!」

そこにいたのは『おとどけカレシ』たちの取りまとめを行う桜川たち。
だるそうに答えたのが桐谷大和で、それとは対照的に異様なほど張り切っているのが矢吹千紘だった。
桜川とは違い、この二人は現役の『おとどけカレシ』として仕事をこなしている。
もちろんそこで見せる顔は今のどうしようもなさそうなものではない。

「はぁ……俺の代わりにやっとけよ」
「そーれーじゃーいーみーなーいー」

ついにしゃがみ込んだ大和を、千紘がぐいぐい引っ張って立たせようとする。

「いっつも女の子にはとびっきりのプラン組むじゃん! 今もおんなじっしょ!?」
「今は仕事じゃねーし……」
「じゃあさ、じゃあさ! 俺を女の子だと思って!」
「てめえのどこが女なんだよ……」

賑やかすぎる千紘と、静かすぎる大和と、そんな二人を見ながら桜川は苦笑した。

「さっさと飾り付けないとクリスマスが終わるぞ」
「そもそも、なんでヤローだけでクリスマスしなきゃならないんすかね」
「ばっか、お前! 男しかいねーからこそ、あんなことやこんなことで盛り上がれるんじゃねーかっ!」
「盛り上がる必要あるか……?」
「お前の疑問はどうでもいい。俺が飾り付けをやれって言ったらやるんだ。立って手伝え」
「……はぁ」

桜川に言われてしまえば、大和はもう逆らえない。
というより、桜川に逆らえるキャストなんて聞いたこともない。
――運命の相手を見つけて去っていったキャストたちなら過去にいたが。

「ほい! 帽子かぶって! サンタさん役おなしゃーっす!」
「だからそういうのいいって……」
「クラッカー鳴らそーぜ! クラッカー!」

邪険にされてもめげない千紘を見て、桜川はふと懐かしさを覚えた。
かつて、ここにもハイテンションかつおしゃべり大好きなキャストがいたこと。
そこに悪乗りして余計なことをし始める、小学生もどき。
それから、そんな二人におろおろしていた、気弱なびびりと根暗オタク。
毎回呆れながらも世話を焼いていた現実主義者に、やりすぎたバカ二人をシメる元暴走族総長……。

「……ここも変わらないな」

ぽつり、と桜川が呟いたことを二人は知らない。

「メリークリスマース!」
「うるせー……」

今はこんな新キャスト二人も、派遣されたときはその姿を一変させる。
何事にも無関心でめんどくさがりな大和は、女性の扱いに慣れた究極のフェミニストに。
賑やか大好きお祭り男の千紘は、上品で物静かな紳士に。
――彼らの本気は、おとどけされたあなただけが知ることになる。

SS08:壱とのクリスマス


年に一度のクリスマス。
結ばれた恋人たちがどんな風に過ごすのか、それは二人だけが知っている。

クリスマス当日ともなると、スーパーまでなんだか賑やかだった。
音楽はもちろんクリスマスのもの。惣菜コーナーにはチキンとオードブルばかり。
当然、特設のコーナーだってある。

「お、これこれー」

壱が手に取ったのは製菓材料だった。
これから二人は家でゆっくりクリスマスの夜を過ごす。
ついでにケーキも自作してしまおう、ということだったのだが。

「生クリームいっぱい買っていいよな! お前に付けてぺろってすんのやりたい! へへっ、なんかえっち――うぐっ」

なんとも鈍い声で呻いたのは、彼女が壱の足を踏んだからだった。

(ひ……ひっぱたかれなかっただけマシ……)

付き合ってますます距離が縮んでからというものの、彼女は壱に遠慮がなくなった。
とはいえ、壱は本性をさらけ出したその瞬間から彼女への遠慮をしなくなっていたし、もともと他人に遠慮をするようなかわいらしい性格はしていない。
だからこそ、容赦のない彼女の行為が嬉しかった。

(俺にそういうことするってのは、つまりこのいっちーさんと同レベルまで落ちたってことだからな!)

彼女が聞いたら、「壱さんほど子供じゃない」と憤慨することだろう。

(俺からすりゃ、じゅーぶんお子様)

実は彼女にとって壱は初めての恋人になる。純粋培養で育てられ、男というものがどんな生き物なのかすら知らなかった彼女に、手とり足とり教え込んだのは壱だった。
初々しく応えていた彼女は、最近キスに自信が出てきたらしい。
隙あらば壱の反応を見ようとキスしたがるところが微笑ましく、壱のあれやこれや、あまり彼女には聞かせられない欲求に対して非常に効果があった。

(ひひひ、今日はなんかイイコトしてくれねーかなー!)

とは思うものの、壱も一応ちゃんとした大人で、恋人がクリスマスにどういうことをするものなのかくらいわかっている。

(プレゼントっつってケーキ作るじゃん? きゃー壱さんこんなにおいしいケーキ作るなんて素敵ー! って言うじゃん? お礼に私をプレゼントってするじゃん!? 俺、超天才! ひゃっふう!)

結局のところ、壱が下心なく純粋に考えることなんて滅多にないのだった。

***

そして家に帰った二人は、それぞれクリスマスを楽しむための準備を始めたのだが。

「おーい、飾り付け終わったかー?」

手元で生クリームを泡立てながら、壱はリビングにいるはずの彼女へ問いかける。

(そんなに時間かかんねーはずだし、こっち手伝ってほしいんだけどな)

飾り付けに購入したものを壱は記憶している。
彼女がなにをそんなに手こずっているのかと思ったそのときだった。

「ン゛ッ」

すとーん、と手から生クリームの入ったボウルが落ちる。
その壱の視線を釘付けにしているのは――ミニスカサンタだった。

(なななななななー!?)

ついに小学生レベルの語彙力さえ出てこなくなった壱の前で、彼女は見せびらかすようにくるりと回ってみせる。その顔は着ているサンタ服の十倍赤い。
――プレゼント、です。
確かに彼女はそう言った。興奮した壱の耳に正しく届いたかは別として。

「お、おおおお……お前……それ……」

彼女は壱からすれば世間知らずのお嬢さんだった。それがたまに大胆な行動に繋がってきたものの、まさかこれほどのことをやらかすとは思ってもみない。

「ぱ……ぱんつ見たい……」

壱が必死に絞り出した感想が、それだった。

(あっ、やべ、また怒られる……!)

そう思ったのに、彼女はちょっとだけ裾を持ち上げる。
見える。いや、見えない。
そのあまりにも攻めたぎりぎりのラインは壱の理性を軽々と空の彼方へ吹っ飛ばした。

「今、ちょうど生クリームできたからさ! だから! 俺!」

裾を掴んだ彼女の手が、ぐっと握られる。

「あっ、待って! 俺むしろ舐められたい! 唇の端に付いてるよ、ってやられたい! やって! ひー! 壱さんの壱さんが壱さんで壱さん!」

もはや支離滅裂なことしか言えなくなった壱に向かって、彼女はつかつかと歩み寄った。
そして、その襟を掴んでぐっと引き寄せる。
そんなことをすれば当然、唇と唇が重なるわけで。
――そういうのはケーキを食べてからにしましょう。
より一層赤くなった彼女の有無を言わせない一言を聞いて壱ができるのは、壊れたおもちゃのようにぶんぶん首を振って頷くことだけだった。

SS07:遥とのクリスマス

年に一度のクリスマス。
結ばれた恋人たちがどんな風に過ごすのか、それは二人だけが知っている。

遥は彼女といつものようにアニメの上映会を楽しんでいた。
夜までびっちりそんな風に過ごし――おすすめアニメの映画版を三本立て続けに見たところで、ようやく今日がクリスマスだったと思い出す。

(あああああ! やっば! クリスマス!)

彼女と過ごすこんな時間が楽しすぎた。なにも隠さず、好きなことをしていい時間が幸せすぎて。
しかし、それは恋人を持った男が言っていい言い訳ではないだろう。

「ごめん! 今日クリスマスなのに、すっかり忘れてた!」
(ありえないありえないありえない! 普通恋人がいるのにクリスマス忘れる!? どうせ二次元にしか恋人いませんよー、現実の彼女とクリスマス過ごすなんてレアイベント中のレアイベントですよー……!)
「い、今からでもよかったらどっか行こ? イルミネーションなら見られると思うし、ケーキだって買う時間ならまだ……!」

大慌ての遥に向かって彼女は怒ることなく、ただ笑った。
そんなことだろうと思った、という一言を聞いて愕然とする。

(クリスマスもまともにできないくらい、どうしようもないクソキモオタだと思われてたってこと……!?)

もともと遥の自己評価は地を這うほど低い。
さすがに言葉を失っていると、構うことなく彼女は立ち上がった。
その足で冷蔵庫まで向かったかと思うと――。

「……え。それ、ケーキ? ってか、そのシャンパンなに? え? え?」

彼女が冷蔵庫から、いかにもクリスマスといった料理の数々を出してくる。
こんなこともあろうかと用意しておいた、とにっこり言いながら。

「嘘……でしょ……?」

よくもまぁ隠し通せていたものだと衝撃を受けるほど、豪勢な料理が並んでいく。

「……ねぇ、俺がもしクリスマスを思い出せないまま明日になってたら……どうするつもりだった?」

恐る恐る聞いてみる。今はたまたま思い出して言ったからこの料理が出てきたものの、これが明日や明後日や……とにかく、遥が指摘するまでなにも起きない可能性もあったわけで。
そのときは、と彼女は遥の頬をつつく。
――そのときは、明日をクリスマスにしよう。

(えええ、明日をクリスマスって、もうイブですらないじゃん! なのに、なんで……)

こらえきれずに遥は自分の大事な恋人を抱き締めていた。
よしよし、とその背中を彼女が撫でる。

「クリスマスって言ったら、すごく大事なイベントじゃん。俺、忘れてたのに……」

忘れていてよかった、と彼女は言う。
自分たちの始まりは『おとどけカレシ』なんていう派遣サービスからだった。一般的に普通と思われる恋人たちとは大きく違い、二人はデートよりアニメやライブを優先させることだってある。そんなある意味特別な恋人同士だからこそ、当たり前のクリスマスは過ごしたくなかった、と。

「俺が言うのもなんだけど……君も相当オタクだし、変だよね」

へへへ、と遥は嬉しそうに笑って彼女の頬にキスをした。

「今からでも当たり前じゃないクリスマスするの、間に合うと思う?」
どんなクリスマスを過ごすのかは言わない。
それでも、彼女は心からの笑顔を見せて頷いた。

***

クリスマスの夜だというのに、二人は泡風呂を存分に楽しんだり、来季から始まる新作アニメの原作について熱く語り合ったりした。
どれも普段はなかなか時間が取れなくてできなかったこと。でも、今夜はたっぷりその時間がある。
入浴を済ませた後、遥たちはとある声優のクリスマスライブの映像を見ていた。
踊りやコールまで完璧に尽くし、熱気冷めやらぬ中、休憩のためにクリスマスケーキを食べることにする。

(これも忘れてる間に用意してくれてたんだよね……)

本当によかったんだろうかと思いつつ、そもそも遥を恋人に選ぶようなかなり変わった女性だったんだと思い出し、自分を納得させる。

(せめて、もう少し恋人らしいこと)

彼女がおいしそうに生クリームたっぷりのケーキを口に運ぶ。
遥は明らかに後で食べようと避けられていたイチゴをフォークで刺し、自分の唇に挟んだ。
あ、と声をあげて抗議しようとした彼女に向かって懐かしの小悪魔スマイルを浮かべる。

「……ん?」
(君が欲しいのって、これ?)

イチゴを指で示して「食べたいならどうぞ」とアピールする。
彼女はびっくりしたように目を丸くしてから、そっと、遥の唇に自分の唇を重ねた。

(……あ、こんなことしなきゃよかった。止まらなくなるじゃん……)

離れようとした彼女の後頭部を掴み、深く深くイチゴ味のキスを続ける。
キスは甘くかわいらしくても、遥の顔に浮かんでいるのは恋人を求める狼の顔だった――。

SS06:海斗とのクリスマス

年に一度のクリスマス。
結ばれた恋人たちがどんな風に過ごすのか、それは二人だけが知っている。

その夜、御国家では実に盛大なパーティーが行われた。

「あ……あはは……ごめんね、なんか驚かせちゃって……」

彼女が驚くのも無理はない。
海斗は正真正銘のお坊ちゃんというやつで、クリスマスも恋人と二人っきりにはなれないらしかった。

「あの……あちこちから偉い人が集まるんだ。それで……君を恋人として紹介しても……いい?」

なんでだめだと思ったの? と、当然の疑問が彼女の口からこぼれ出る。
そんな一言にさえ、海斗は「ひぃ」と小さく声を上げた。

(だって、クリスマスなのにこんなお仕事みたいなことに付き合わせるなんて、君に申し訳ないから……。そんな、二人っきりのスケジュールさえ押さえられない甲斐性なしに恋人扱いされるのは嫌かと思って……!)

言ったつもりでも、もちろん声には出ていない。
それでも、彼女はおどおどしている海斗を見て察したようだった。
こういうクリスマスは初めてだから緊張する。でも、海斗の恋人として恥ずかしくないよう振舞うから。
そう言ってくれた彼女の表情を窺い、海斗はどきどきする自分の胸を押さえる。
もちろん、彼女に対する申し訳なさから不安と緊張で倒れそうになっているのはあった。
それ以上に、今日のため、ドレスアップしてくれた彼女があまりにも綺麗すぎて。

(誰にも見せたくない)

ほんのりそう思ってしまい、そもそも連れ出したのは自分だろうと慌てて首を横に振る。
そんな風に落ち着かない海斗を彼女はくすくす笑いながら見ていた。
また頼りないところを見せてしまったと気付き、すぐに直立不動になる。
せめて、と海斗は彼女の腰を抱いた。

「あんまりこういう場は慣れてないと思うから、エスコートするよ。俺に任せて」

自分基準で考えた海斗は、きっと彼女が知らない場でびくびくしているだろうと判断した。
だからそう言って、安心させるように微笑む。
残念ながら彼女が考えていたのは、びしっと服装を決めた海斗がかっこよくて、今の頼もしい言葉も倒れるくらいときめいた、ということだったが。

***

「ふあ……」

パーティーを途中で抜け出したのは、海斗がお酒を飲まされすぎてしまったせいだった。
御国家主催のパーティーなのだから、その子息である海斗が挨拶回りに出歩くのは当然のこと。その結果、彼女を紹介すると同時に断りきれない量のお酒を飲む羽目になった。
いつものラフな格好に着替え、海斗はベッドに横たわる。

(うう……情けない……)

介抱させてしまうなんて、恋人としてこんなに恥ずかしいことはあるだろうか。
彼女がそんな海斗を大丈夫かと心配しつつ、かわいいと嬉しく思っていることは知らない。

「ごめんね……。君がよかったら、会場に戻って平気だから……」

ぼんやりする頭でそう言うと、側にあったぬいぐるみを顔に押し付けられてしまう。
エスコートしてくれる人がいないなら、嫌。
かつて俺様は大嫌いだときっぱり言い切った彼女の言葉は強くて、切れ味が鋭い。
同時に、海斗に安心感を与えてくれる。
――私がいなかったら、誰がその間あなたの側にいるの。
気遣わしげな声が海斗の口元をほころばせた。
ちょっぴり気が強くて、言いたいことはきちんと言う、海斗とは正反対の大好きな恋人。
その優しさも、海斗には眩い。

(ずっと、一緒にいてくれるんだ……)

ふふふ、と海斗は笑う。アルコールが回っているせいであんまり頭が働かない。

「あのね。もし一緒にいてくれるなら、君と寝たい。ぎゅーって抱き締めたいよ。それから、キスも――」

言いかけた海斗に、ぐいっとぬいぐるみが押し付けられる。

「んむっ」
(な、なに……?)

びっくりした海斗は軽く目を瞬かせた。
なぜか彼女が怒ったように唇を尖らせて――赤くなっている。

「ど……どうしたの……?」

不安げに聞いた海斗にぐりぐりぬいぐるみを押し付けながら、彼女は言った。
――抱き締めてキスだけで済むならいいけど、今日は他に着替えを持ってきてないんだからね。

(ん……?)

彼女の言葉の前半と後半が繋がっていないような気がした。
ややあって、その意味に気付く。

「でも、脱がせたらだいじょ――んむむ」

彼女はその先を海斗に言わせてくれない。
照れているその姿がなんだかとてつもなくかわいらしくて、海斗はへらへら笑ったのだった。

SS05:奈義とのクリスマス

年に一度のクリスマス。
結ばれた恋人たちがどんな風に過ごすのか、それは二人だけが知っている。

「おい、バカみたいにきょろきょろするなよ。前見て歩け。転ぶだろ」

そう言いながら奈義は彼女の手を引っ張った。
クリスマス時期にしかやらない期間限定のイベント。それは外にある木々をすべてツリーに変え、装飾と電灯できらきら輝かせるという夢のような空間を演出するものだった。
お姫様というものに憧れている、と言った彼女が喜ばないはずもなく。奈義がいちいち手を引かないと、どこへ歩き出してしまうかわからない。

(夢中になんのはいいけど、ぼんやりしすぎ)

今までの奈義なら、はぐれないように手を繋ぐなんてことは絶対にしなかった。
迷子になるなら勝手にすればいい、どこかにぶつかるならぶつかればいい。基本的に奈義はそういう考え方で、面倒を見てやるのは弟たちぐらいだけのはずだったのに。

(……ってか、なんでこんな寒いのに手だけあったかいんだよ)

寒い冬空の下、握るその手が温かいことなんて知らなかった。
だから、離せない。放っておけない。

(……まぁ、ふらふらされても困るし)

仕方がない、と奈義は自分自身に言い聞かせる。
さりげなく普通の握り方から恋人繋ぎに変えたのは、彼女が手を解いて離れてしまわないように。
と、いうことにしておいた。

「せめて、もうちょっと早く歩けないわけ? レストランの予約時間、間に合わなくなっても知らねーから」

はっとしたように彼女が小走りになる。
何気なくその足元を見た奈義は、少し、照れた。

(……バカ。クリスマスだからって、俺がプレゼントした靴履いてくんなよ)

それは彼女にとって特別な、そしてとっておきの靴。
普段使いしていないと知っているだけに、どれだけ今日奈義との時間を楽しみにしてくれていたかがよくわかる。

(待ってろ、ふわふわお姫様。この後はあんたの大好きなサプライズだ)

――レストランで楽しく食事をした後は、照明がそっと落ちてオルゴールが流れる。
彼女の目を塞いだ奈義は、レストランの中央にあるツリーに向かってそっとその手を引くのだ。
そこにある、彼女のためだけのプレゼントを渡すために。
きっと彼女は驚くだろう。もしかしたら感極まって泣いてしまうかもしれない。

(あんたの間抜けな顔、早く見せろよ)

彼女はどうして奈義がずっと嬉しそうに頬を緩ませているかまだ知らない。
だから、手を繋ぎながら不思議そうに首を傾げていた。

***

サプライズは奈義が行うはず――だった。
照明が落ちてロウソクの火がぼんやり灯ったレストランには、クリスマスのメドレーがオルゴールで流れている。
そこまでは奈義も知っている。
ただ、プレゼントした後からは違っていた。
――私からも、サプライズ。

(ああ、クソ)

どうして奈義はこの瞬間まで気付かなかったのだろう。
サプライズを好むなら、自分がする側に回ることだって好きに違いないのに。

「……これ、俺に?」

彼女に差し出されたのはなかなか大きい箱だった。
こんなときにも、持ち帰るのが面倒だろう、と思ってしまった夢のなさが悲しい。

「開けていいか?」

うん、と彼女は頷いた。
自分の心臓がこれまでにないほどうるさく騒いでいるのを感じながら、奈義は夢がいっぱいに詰まった箱を開く。
そこには、靴が入っていた。

(この間、二人で見たカタログに載ってたやつ……)

興味があると言ったのを彼女はきちんと覚えていた。おそらくあのときから、クリスマスのプレゼント候補として挙げていたに違いない。

(んだよ。サプライズ返しなんか聞いてねーのに……)

奈義がどんな顔をするのか、ほんの少し前に奈義が彼女の顔を楽しみにしていたのと同じように、彼女も待ちわびていた。
じっと見つめるその眼差しが、更に奈義のいろんな想いを高めていく。

「……バカ」

顔が熱くなっていくのが本当に、本当に悔しい。

(頭ふわふわのお花畑ちゃんのくせして……)

「今、こっち見んな……っ」

ああ、と彼女は安心したように息を吐く。
どんなに目をそらそうと、どんなに憎まれ口を叩こうと、奈義が喜んでいるのは明らかだったから――。

SS04:葵とのクリスマス

年に一度のクリスマス。
結ばれた恋人たちがどんな風に過ごすのか、それは二人だけが知っている。

葵は彼女と外へイルミネーションを見に行った。
そこでの会話はもちろん――。

「あのでっかいやつ、絶対ボスだべ! 多分、そっちにある赤い電気と青い電気をどっちも壊さねぇとダメージ通んない! 下のちまちましてるやつはボスの体力回復担当で、それから……」

およそ、恋人同士の会話とは思えないものの、彼女はそのすべてにきっちり答えていた。
それどころか、三つ並んだ装飾を見て「実は右が本体のパターンだろう」と言ったり、「電気属性なら地属性の攻撃が通用するのでは?」と言ったり、むしろ葵も驚くほどゲーマーらしい答えを出してくる。

(あー、楽し!)

どんなに人混みがものすごくて、イルミネーションを見るのがやっとの状況でも少しも辛くない。
気の合う恋人がいるというだけでこんなにもただの電飾がきらびらやかに見えるとは、葵も今日まで知らなかった。

「これ、ここにいんの全員恋人同士なんかなぁ。すげー数」
(ゲームなら一気に倒せば――)

ゲームだったらまとめて倒すとボーナスタイムなのに。
葵が頭に浮かべたのとほとんど同じ内容が、隣でぽつりと呟かれる。

(ああ、やっぱあんた、俺と一緒になるためにいるんだ)

同じことを考えていた、というそれだけのことが葵の胸をほっこり温めて喜ばせた。

「……あっ」

しかし、そんなことに気を取られていたせいで二人の間に無粋な男が割り込んでしまう。
離ればなれになってから初めて、葵は手を繋ぐべきだったのだと気付いた。

(気ぃ利かねぇなぁ、俺。そんなんじゃ呆れられちまうべ)

再び二人が寄り添うことに成功したとき、葵は一言付け加えることなく、彼女の手を握った。
びく、と驚いたように微かな反応がある。
次いで、彼女の顔が少し赤くなった。

「はぐれんなよ。ちゃんと繋いどいてやっから」

いつもは葵が彼女にリードされる方が多い。
それでも。

(今日はクリスマスだかんな)

葵にだって、譲れないと思うときぐらいあるのだった。

***

特別な夜を二人で楽しんで、あとはもう家でまったりと過ごす。
いつもはすぐに始めるゲームも、今日はなかなか電源を付けるところまでいかない。

(俺がゲームを後回しにしたくなるくらい、夢中になれるもんを見つけるなんてなぁ)

彼女が側にいるだけで葵は嬉しくてたまらなかった。
クリスマス、なんていう特別な日を丸々葵のために空けてくれたことも。
だから、葵は今日頑張ったのだ。
彼女が来年も一緒にクリスマスを過ごしてくれるように。
例えもう『おとどけカレシ』ではなくても、素敵な恋人だと思ってもらえるように。

(あー、でもそろそろ限界)

葵はくすくす笑って、彼女を見つめた。

「なぁ」

ごろん、とその膝に頭を乗せる。

「そろそろ俺にも甘やかさして?」
(あんたを甘やかすのも好きだよ。だけどさ、やっぱ俺ってちょっと甘えん坊みたい)

微笑んだ彼女の手が葵の髪を優しく梳いていく。
その感触が心地よくて目を閉じようと思ったけれど、彼女を見つめていられなくなるのがもったいなくてやめておいた。

「メリークリスマス」

今まではゲーム内のイベントでしかなかったそれを、心からお祝いする。
笑いかけてくれたその笑みが愛おしくて、また胸が疼いた。

(あんたの笑ったとこ、やっぱ大好きだ)

これからも自分の手で彼女の幸せな笑顔を作っていこうと、葵はそっと聖夜に誓った。

SS03:仁とのクリスマス

年に一度のクリスマス。
結ばれた恋人たちがどんな風に過ごすのか、それは二人だけが知っている。

仁はクリスマスの日にまで仕事を詰め込まれた彼女のために、先に家で料理の準備をしていた。
例年特にクリスマスを楽しんでこなかった彼女は、オードブルも食べたことがないらしい。

(大体こんなもんでいいか……っと、そろそろ帰ってくる時間だな)

テーブルの上にご馳走を並べ、さすがに作ることはできなかったケーキをその中心に置く。
メリークリスマス、とプレートに書かれたケーキは二人で食べるには大きかったが、仁は彼女がこういうものを好むとよく知っていた。

シャンパンを用意し、グラスもきっちり二つ分置いておく。
あとは主役の彼女が、と思った所で玄関が開く音がした。
ただいま、と声が聞こえた時、仁は自分が緊張していたことに気付く。

(思ってたのと違う……なんて言われねーよな)

彼女が食べたいと言っていた料理は全て並べてある。シャンパンだってそれなりの値段をしたいいものだ。ケーキも人気店のものを予約し、こっそりプレゼントだって――。

(俺もまだまだ仕事の癖が抜けてねぇ)

どこまでも完璧なカレシであること。それはかつて『おとどけカレシ』だった仁のポリシーだった。
ぱたぱたと足音が聞こえ、仁は高鳴る胸を押さえながら振り返る。
そこには絶句した彼女の姿があった。

「あー……お帰り。クリスマスにパーティーしたいって言ってただろ? だから……その、なんつーんだ。ちょっとでもそれっぽい気分になればと思ってだな」
どこまですれば喜んでもらえるのか、仁にも正直わからない部分があった。

(よ……喜ぶ、よな……?)

いつも彼女は仁のすることを子供のように喜んでくれる。
今回はどうなるだろうかと思っていたとき。

「……おわっ!?」

どさっとカバンを投げ捨てた彼女が、勢いよく仁の胸に飛びついた。

「いきなり飛びかかってくんな。危ねーだろ」
(……そこまで喜ばれると思ってなかったな)

どれほどこの準備を喜んでいるのか、それはもう顔を見なくてもわかる。
彼女はぐりぐり仁の胸に頬を押し付けながら「大好き」と繰り返しているのだから。

「ほら、遅くなる前に飯にするぞ」
(お前が喜んでくれてよかった)

この日のために仁がどれだけ入念にクリスマスのことを調べ、準備したのか彼女は知らない。それでも、心から嬉しそうに笑うその顔さえ見られれば、そんな努力は一瞬で報われてしまうのだった。

***

早速二人きりのクリスマスを始めると、仕事の疲れもあったせいか彼女は一息にシャンパンを飲み干した。

(相変わらずすげー飲みっぷり……。これ、また介抱しなきゃならねーな)

冷静に彼女の様子を窺いながら、今日のことを話したりと料理を楽しんでいると。

「……おい」

隣に座っていた彼女が、当たり前のように仁の膝に座ってくる。
そして、にへら、と笑った。

(お前、俺にそんな近付いていいのかよ)

今日、この瞬間まで仁はずっと彼女のことだけを考え続けていた。クリスマスの準備を優先させるためにデートを断念した日だってある。
その温もりに触れたのは、本当に久し振りのことだった。
じんさん。といまいちろれつの回らない声が甘く響く。

「仁、だろ? 呼び捨てにしろっていつも言ってるじゃねーか。さん付け苦手なんだよ」

へへー、と頬を赤くしながら彼女は仁の身体に寄りかかる。

「こら、あんまかわいいことすんなっつの」

またお酒に手を出そうとした彼女からグラスを取り上げ――膝から下ろそうとしたはずだった。
それなのに仁の手は勝手に彼女の頭を引き寄せていて、自分自身も更に密着しようと近付いてしまっている。

(ったく、クリスマスまで俺の調子を狂わせんのか)

彼女に出会ってからずっと、仁は仁でいられていない。
楽しいパーティーを終えても、クリスマスプレゼントを交換しても、きっと狂わされたままなのだろう。

(今夜ぐらいは優しくしてやりたかったのにな)

仁がそんなことを考えているなんて、彼女はまったく知らない。
それどころか、機嫌よく調子外れな鼻歌を歌いながら大好きな仁に甘えるのだった。

SS02:酔ったお前を(瀬戸 仁)

からん、とグラスの中で氷が音を立てた。
それに合わせて仁の視線も隣にいる彼女の方へ動く。

(さっきから結構飲んでるけど大丈夫か……?)

仕事で嫌なことがあった、と彼女は言った。
だから仁はこうしてバーに連れてきたのだが。

「お前、それで何杯飲んだ?」

首を横に振られる。
自分が何杯飲んだのかすら、彼女はもう覚えていないらしい。
その頬は上気して赤くなっていた。
相当アルコールが回っているのか、目もとろんとしていて、仁を見ているのかそうでないのかいまいち判断がつきにくい。
そんな彼女が仁に向かってへらっと笑った。
お酒、強い。
なんだか妙なカタコトで言われてしまう。
それがおかしくて、仁は彼女の頭をぽんぽんと撫でてやった。

「お前が弱いんだ……って言おうかと思ったけど、まぁ、俺、酔ったことねぇしな」

彼女はそれを聞いて目をぱちくりさせた。
舌っ足らずな声で、すごいすごいと子供のようにはしゃぐ。

(あー……これ、完全に酔ってんな……)

普段の彼女だったらもう少し大人びた反応を見せる、と思う。
たくさんお酒が飲めて羨ましいとか、なるべくすぐに酔わないようにする秘訣はあるのかだとか、そんなことを聞いてきそうなのに、と。

「……もう嫌な気持ち、抜けたか?」

バーに来たそもそもの理由を思い出し、仁は彼女にそう尋ねた。
上司に無理を言われ、必死に頑張ったにも関わらず手柄を横取りされた。それなのに、その後で小さなミスが見つかった途端、すべてを彼女に押し付けた、らしい。
飲んで忘れたいと言った彼女は、それを聞いた仁が隣で指を鳴らしていたことに気付かない。
更に言えば、「二度とそんなことができねぇように締めるか」と思っていたことも知らない。
もー、だいじょーぶ。
さっき以上に彼女の呂律が危うい。
もっとカクテルを飲むんだとごね始めたのを見て、仁は苦笑した。

「もう大丈夫なら、家帰ろうな。あんま飲むと身体に悪いだろ」

いつもの彼女ならすぐ仁の言うことを聞いてくれる。
しかし、今日は違った。
やだ――とごねたのだ。

「やだ、じゃねぇ」
仁がそう言っても彼女は首を横に振り続ける。
空っぽになったグラスを取られまいと、潤んだ目で仁を睨みさえした。

(それで俺に威嚇してるつもりか? ……ったく)

子猫が必死に唸ったところで、恐ろしいと思う人間はいないだろう。
仁にとっての彼女が今その状態だった。
恐ろしいと思うより、むしろ――。

(……かわいい顔しやがって)

仁がそう思っているなんて露ほども知らず、彼女は小さく「嫌い」と言った。

「へぇ、俺のこと、嫌いになったのか?」

そう聞いてやると、しまったと明らかにわかりやすい反応を見せられる。
いくらぐだぐだに酔っていても、言ってはいけないことの判断はつくらしい。

「嫌いならもう帰っちまうぞ」

(お前が俺を嫌いでも、俺はお前を好きなままだけどな)

彼女のちょっとした発言を、わざと意地悪で返す。
仁が思った通り、酔っているにも関わらず、彼女は慌て始めた。
よくわからないことを言いながら擦り寄ってきた彼女を見て、仁は必死に笑いを堪える。

(焦るぐらいなら、変なこと言うなよ)

彼女の顎を指で持ち上げて、唇にキスを落としてやった。
それだけで慌ただしかった動きがぴたりと止まってしまう。

「わかってるよ。お前が俺を好きなことぐらい」

ほっと彼女の肩の力が抜けたことで、仁はまた笑いを噛み殺す羽目になった。
なんとも感情の変化がわかりやすくて、だからこそ小さな意地悪がやめられない。

「そんじゃ、俺の言うこと聞けよ。今日はもう帰る。いいな?」

てっきり今度は頷くかと思ったのに、彼女はまだ渋っていた。
さっきのように嫌だとは言わない。ただ、やっぱり顔に「それはちょっとなぁ」と出てしまっている。

「なんでそんなに帰りたくねぇんだよ」

(……こんなわがまま言うなんて珍しいな。よっぽどストレス溜まってたのか、それとも……)

仁が心配し始めたその瞬間、彼女はことんと仁の胸に頭を預けた。
そして、顔を見ないようにしながら消え入りそうな声で言う。

――もっと一緒にいたい。

その言葉はまず、とりあえず音として仁の耳に入った。
数秒経って意味を理解し、更に数秒使って――理性を押し留める。

「……わかったよ、今日はお前んとこ泊まる」

それはそれは冷静に、そして余裕を持って返答ができた――と仁本人は思った。
彼女が顔を上げずにすんでよかっただろう。
そうでなければ、笑み崩れて崩壊寸前の恋人の顔を見てしまっただろうから。

(一緒にいたいなら最初から言えよ。的確に人のツボを突いてきやがって)

「じゃ、帰るか。足元気を付けろよ。お前、ふらふらしてんだから」

あくまで冷静に。頼れる恋人として彼女に接する。
一緒にいたいと言ってくれた彼女になにをしたいと考えているか、なにをするつもりでいるかは悟られないようにしながら。

店の外に出ると、急に彼女がしゃがみこんでしまった。
すぐに仁もその側に膝をつく。

「どうした? 吐きそうか?」

あれだけ飲んだのだから、と心配して聞くと、むっとした顔で頬を引っ張られてしまう。
デリカシーがない、と叱られた仁は目を丸くした。

(んなこと言われたってな)

もし本当にそうなら水を買ってこようとコンビニまで走ろうとしたとき、彼女は強めに仁の袖を引いた。
おんぶしてくれないと歩けない。
そんな子供みたいなわがままを訴えてくる。

(飲みすぎて吐きそうってわけじゃねぇのか)

そのことにほっとしながら、恥ずかしかったのか、俯いている彼女の頭に手を置いた。

「お姫様抱っこじゃなくていいのか?」

(お前のためなら、なんでもしてやるよ)

それは恥ずかしすぎると彼女は首を横に振ったものの、正直、仁にはおんぶが恥ずかしくない意味がわからない。
おそらく、酔っているせいでうまく考えられていないのだろう。
まだ仁が返答していないにも関わらず、勝手に背中へよじ登ろうとしてきた。

「こら。おい」

口では止めながらも、振り払いはしない。
むしろ彼女が背中に登りやすいよう、更に姿勢を低くしてやった。
やがて彼女はぺったり仁の背中に張り付き、くふふと奇妙な笑い声を漏らした。
よほどこの状態が気に入ったらしい。

「ちゃんとくっついとけよ。じゃねぇと落としちまう」

落とさないよ、と彼女は即答する。

――落とさないよ。いつでも私を守ってくれるから。

機嫌よく笑って、後ろから仁の横顔に頬を擦り付けようとしてくる。
今回も仁の顔を見ずにすんでよかったのは確かだった。
そこまで彼女に信頼されていることを実感して喜ぶ仁が、なかなか人には見せられないくらい嬉しそうな笑みを浮かべていたからだ。更に言うなら、酔ってもいないのに顔が赤くなっている。

「側にいねぇと守りたくても守ってやれねぇんだからな。……だから、これからも俺の側にいろよ」

うん、と返事がすぐ耳元で聞こえる。
それから五秒も経たないうちに、小さな寝息が聞こえ始めた。
仁は彼女を背負って運びながら、ほんのりもやっとする。

(この状態、最悪じゃねーか……。顔も見れねぇ、抱き締めんのも無理、キスはもっと無理。……こんなのもたねぇぞ)

信頼しきった重みが仁の背中にかかる。
かつて施設にいたときにも歳下の兄弟たちをこうしておんぶしたことがあった。
それとは違う、もっと愛おしくて心地よいぬくもり。
早く家に帰りたいのは山々だったが、あえてゆっくりゆっくり歩いていく。
少しでも彼女が安心して眠れるように。
今だけ、仁は彼女のためだけのベッドになることを誓ったのだった。

家に着き、足元に散らばる雑誌を蹴り飛ばしながら、仁はベッドへと向かった。
細心の注意を払って彼女をそこに下ろす。
甘えるような吐息が耳に触れたのは意図的に無視した。
そうでもしないと、理性が振り切れて眠る彼女を襲いかねない。

(生殺しって言うんだからな?)

無事、ベッドに横たえた彼女に向かって心の中で告げる。
それが聞こえたのか、閉じていた瞼が薄く開いた。

――ぎゅってして。

伸ばされた腕。甘えているくせにどこか艶めかしさを感じさせる声。
シーツに散った髪。仁だけを見つめる瞳。運んでいる途中にはだけたらしい胸元。
その何もかもが、ここまで耐え抜いた仁のすべての頑張りを無に帰した。

――誓って、今夜手を出すつもりなんてなかった。

嫌なことがあったなら休ませてやりたかったし、たくさん飲みすぎたなら落ち着くまで寝かせてやりたかった。
本当に、この一瞬前までは心からそう思っていた。
それなのに。

「……お前が誘ったんだからな?」

ぬくもりを望んでいるなら、与えてやるだけ。
こんなにわかりやすく求められて自分を保っていられるほど、仁は完璧な男ではないのだった――。

SS01:初めての仁の家

お邪魔します、と言った彼女の声はやけに硬かった。

「どした? びくびくしてねぇで入れよ」

彼女をここまで連れて来た仁は、そんな小動物のような姿を面白おかしく思いながら見つめる。

「まさか初めてだからって緊張してんのか?」

こくこく、と彼女が真剣な顔で頷いた。

――そう、今夜彼女は初めて仁の家に来たのだった。

恋人になってから、仁が彼女の家へ向かう事は少なくなかった。そもそも『おとどけカレシ』として働いていた時にも――部屋の掃除をさせている。

「別に今更部屋に来るくらい、どうってことねぇだろ」

そう言いながら、仁は彼女の耳元に顔を寄せた。
そして、にやりと口元に笑みを作る。

「さすがに俺も連れ込んだ瞬間、襲ったりしねぇよ」

わざと意味を込めながら、耳朶に音を立ててキスを落とす。
そうすると照れやすい彼女はすぐに顔を真っ赤に染め上げた。

(連れ込んだ瞬間、は襲わねぇからな。……その後は、まぁ、うん。そりゃあ、な?)

こっそり仁がそう考えている事も知らず、彼女は意を決したように部屋へと足を踏み入れた。
男の家、と考えると随分綺麗な場所だった。
さっぱりと片付いており、きちんと足の踏み場がある。
彼女はそれをそのまま仁に伝え、笑われてしまった。

「あのな、足の踏み場がねぇのはお前の家くらいだ。こんぐらい片付けとくのは普通だろ、普通」

ころころと表情を変える彼女が愛おしくてわざと嫌味っぽく言うと、ぐぬぬ、とでも言いたげにかわいらしく睨まれてしまう。

(なんだ、その顔? 襲うぞ?)

あながち冗談でもなく思いながらも、ぎりぎり仁は自分を抑え込んだ。
まだ、さすがに早い。

(ガキみてぇだな、俺。目の前にいるだけで抱き締めてキスして、それから……。……それから、じゃねぇよ。どんだけこいつのことが好きなんだっての)

日々、その想いは強くなっていく。
仁の世界を変えた彼女は、もはやなくてはならない存在になっていた。

「適当に座っとけ。なんか飲むか?」

彼女は緊張した顔で首を横に振ると、やけに背筋を伸ばしてソファに座った。
部屋が気になっている様子を見せているものの、子供っぽく漁ろうとはしない。ただ、非常に興味はあるらしく、落ち着きなく辺りを見回していた。

(猫……いや、ハムスターか……?)

かわいらしい姿を動物に例えながら、仁は彼女の前に麦茶を用意する。
そして、家主として遠慮なくその隣に座った。
それに驚いてしまったらしく、びくりと彼女が跳ねる。
すすす、とさりげなく離れようとしたのを、仁は片手で腰を引き寄せて阻止した。

「緊張しすぎだ。お前の家みたいなもんだろ、俺の家なんだから」

そんな超理論は聞いたことがない、と指摘されても仁は気にしない。
更に彼女を自分の方へ寄せ、当たり前のように頬へとキスをする。

「大体、何にそんな緊張してんだ」

彼女はとうとううつむいてしまった。
ああ、と仁はわざとらしく頷いて、意味ありげに身体のラインをなぞる。

「泊まりだもんな。そりゃ、いろいろ考えちまうのもしょうがねぇ。……そういうことか?」

彼女の身体にわかりやすく力が入ったのを見て、仁は自分の考えを確信する。

「じゃ、お前の希望通りにしてやる。……今夜は寝顔より恥ずかしい所、見せてもらうからな」

寝顔を例えに出したのは、彼女がそれを恥ずかしがるからだった。
仁からすれば彼女の表情のどれも恥ずかしいと思えるようなものではない。むしろ、どんな情けない顔も困り顔も――取り繕えなくなって甘えてくる顔も、何もかもが愛おしかった。
彼女はいつも頭の奥まで溶けそうな声で仁の名前を呼ぶ。
きっと今夜もそうなるのだろうと考えて、仁はすぐに煩悩を振り払った。

(だからはえぇっての!)

一応、仁だって今夜の泊まりについて考えていないわけではなかった。
元『おとどけカレシ』キャストとしての癖のようなものかもしれない。
連れ込んだ後は適当にアルコールでも楽しみながら会話を楽しみ、映画を付けて徐々に距離を詰め、そしてなんとなくいい雰囲気に持って行った後は……。

(手順すっ飛ばす奴がいるか!)

仁が理性を保っているのは、プラン通りにしなければならないという妙な意地もあった。
彼女が笑顔一つ見せただけで、あっさりプランをなかったことにしてしまう自分を情けないと思っているのもある。

今、彼女は仁の腕の中でもぞもぞ身じろぎしていた。
どうやら落ち着かないらしい。
しかし、すぐにちょうどいい収まりどころを見つけたらしく、大人しくなった。
ちょこんと座ったまま、仁を見上げてくる。

「……どうした?」

聞いておきながら、答えは聞かない。
吸い寄せられるように唇を塞いで、またやっちまったと自分を悔いる。

(初めての泊まりでビビらせたら、二度と来てくれねぇかも……)

そんな風に、かつては暴走族の総長として恐れられた仁の方がビビっていた。
ただ、彼女は仁を拒まない。
黙ってキスを受け入れ――あろうことか、背中に腕を回してきた。
そうなるともう止められなくて、添えた指で彼女の顎を固定する。

「……口、開けろよ」

微かに頷かれた気がして、もう一度唇を重ねる。
舌で割ってキスを深めると、仁を抱き締める小さな手に力が入った。

(調子狂わされてばっかだな……)

吐息をこぼし始めた彼女とは対照的に、仁は余裕を保つ。
だからこそ彼女を怯えさせないように、それこそ真綿でくるむように優しく優しくキスを繰り返した。
は、と仁も濡れた息を吐く。
それが妙に艶めいた響きをはらんだことにも気付かず、頬を赤らめた彼女の前髪を耳にかけてやった。

「……先に風呂だよな」

ためらいがちに了承される。
小さな声で、「背中を流そうか」という提案まで聞こえた。

(……まだだ、まだ堪えろ)

もうほとんど堪えられていない、というのはともかく、仁は自分を律する。

「ありがとな。……じゃ、俺はお前の身体洗ってやる」

もちろんそういう意味を含めて囁くと、思い切り首を横に振られた。
別にいい、やっぱりいい、そんなのいい。
まくしたてられ、少しむっとする。

「遠慮すんな。明日は休みなんだし、ちょっとぐらい長風呂しても誰も怒らねぇだろ?」

(もういいわ、我慢なんかするだけバカバカしいしな)

まだ抵抗しようとする彼女を、そのまま浴室へ連れて行こうとした。
じたばたもがくのを見て、くっと喉を鳴らす。

「明日の朝飯作ってやるから、俺の好きなようにさせろよ」

今の今まで暴れていた彼女が、たったそれだけで従順になった。
彼女の好きなものは仁の作った料理で、どんな簡単なものでも大喜びして食べる。
お泊まりどころか朝食まで付いてくる――。
それが、彼女の心を掴まないはずがなかった。

「何食べたいか考えとけ」

仁の言葉を聞いて、ついに彼女は陥落した。
オムライスがいいかな、それとも……と早速食べたいものを挙げていく。

(色気より食い気かよ。……俺が目の前にいるの、わかってるか?)

こんなに自分は彼女のことだけで心を乱されているのに、と悔しささえ覚えた。
せめてもの意趣返しに、彼女の服のボタンを一つ外す。

「風呂入ってる間も考えてられんなら考えとけ。俺がそんなに優しいカレシだと思うなよ?」

いまいち意味がわからなかったらしく、彼女も仁の服を脱がせようとしてくる。
今度は仁が陥落する番だった。

(……もう知らね)

浴室へ向かう予定だったのに、その予定すら彼女のせいで狂わされる。
仁は彼女を壁に押し付け、さっきよりもずっと深くて余裕のないキスを落とした。
それは『もっともっと、アナタがカレに恋をする』日々の始まりにすぎない。
明日から何が待っているかも知らず、二人は幸せな夜を過ごすのだった。