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俺様レジデンス

SS

  • SS:01
    藤との喧嘩
  • SS:02
    藍の策謀
  • SS:03
    藤とのクリスマス
  • SS:04
    藍とのクリスマス
  • SS:05
    玄とのクリスマス
  • SS:06
    西園寺三兄弟のお正月
  • SS:07
    玄の嫉妬

SS:01 藤との喧嘩

女という生き物が嫌いだった。
感情任せに言葉を発するところも。短絡的な思考も。すべてが嫌いだった。会話をするのさえ時間の無駄だと思っていた。

――はずだった、のに。

* * *

藤は、柄にもなく困り果てていた。

「だから、なにが不満なんだ。言ってみろ」
「…………」
「なんとか言ったらどうなんだ?この俺が、わざわざお前のために質問をしてやってるんだぞ?普通の女だったら、感激して涙を流したっておかしくない」

それでも、恋人からの返答は無かった。
藤は、ぴくりと左の目元を引き攣らせる。家政婦の分際でこの俺を無視するとは――喉まで出かかった言葉をぐっと堪え、飲み込んだ。それを口にすれば、日頃の喧嘩の繰り返しになってしまう。
彼女と恋人になってから、学んではいる。恋人同士の喧嘩が、いかに無意味なものかを。完全無欠の西園寺藤も、愛する恋人の前では一人の男になってしまう。それは藤自身が一番理解している。お得意の傲慢不遜な振る舞いは、目の前の恋人には、一切通用しない。最後に折れるのは、なんだかんだ藤だった。

藤の自室のベッドにちょこんと座る彼女は、その小さな口をぎゅっとつむんで黙りこんだままだ。数十分間、ずっとこの状態が続いている。

「お前が、『誕生日に何が欲しいか』と聞いてきた。俺はその問いに素直に答えた。そうしたら、お前が突然怒り始めた」
「…………」
「俺は 『欲しいものは自分で買える』と言っただけだろ?怒る要素がどこにある?」
「……っ!」

彼女は、信じられないとでもいうかのように瞳を大きく開いた。
そんなこともわからないの?
そう言いたいのであろう。しかし、彼女も彼女でそれを言葉にはぜず、眉間に皺を寄せると、そっぽを向いた。その表情には、先程よりもさらなる怒りが上書きされていた。

「お前のような庶民に物をもらわなくても俺はなんだって手に入る。これは事実だ。間違ってるか?」
「間違ってないんじゃないですか」

久々に聞いた彼女の声には、やはり、確かな怒りが含まれている。それは、いくら鈍感な藤にも安易に理解できた。

「ならなぜ怒っている」
「別に怒ってません」
「怒ってるだろ」
「怒ってません!」

珍しく声を荒げた彼女に、藤の頭の中はさらに困惑する。同時に、焦燥も込み上げてきていた。

「そんな顔をして、怒ってないと言い張るのか?お前みたいに感情が顔に出るやつは、嘘をつくのをやめたほうが身のためだぞ」
「藤さんにだけは言われたくありません」

拒絶をするかのような物言い。藤は、我慢の限界に達する。

「この俺が下手に出ていれば良い気になりやがって……いい加減にしろよ」

彼女の腕を勢いよく掴み上げると、顔を近づけ低い声色で囁く。

「手間をかけさせるな。さっさと理由を言え」

高圧的な言葉と目線。普通の女であればこの時点で、怯えた表情を見せたのかもしれない。――しかし今、藤の目の前に居る彼女は、『普通の女』ではなかった。
藤を睨みかえす彼女は、淡々とした口調で喋り始める。

「離してください。これ以上、喋りたくありません。私、食事の準備をしなければいけないのでもう行きます」
「は……はあ!?この俺と喋りたくないって、おま、なに言って」
「喋りたくないものは喋りたくないんです。この手を離してください」
「ふざけんな。俺が、わかったっつって離すと思うか?第一、それがご主人様への口の利き方か?この西園寺藤様を怒らせたいなら、最初からそう言え」
「………っ」

両者は一歩も譲らず、睨み合う。

(あー……クソ、またやっちまった……)

さっきまでは我慢できていたのに。
藤は心の中で後悔していた。腹も立っていた。本心とは裏腹に彼女を追い詰めることしか出来ない自分に。愛する恋人に、ひとつも優しく出来ない自分に。

力を込めれば折れてしまいそうなほど華奢な彼女の腕。その肌に食い込む自分の指を見つめなら、藤の心は揺れていた。

(……傷つけたいわけじゃねえ、のに)

彼女は藤の異変に気づいたのか、怪訝そうな表情を見せる。

(理由なんてどうだっていい。俺がこいつを怒らせたことは事実だ。まずは、悪かったって一言伝えればいい。……わかっている)

プライドが邪魔をして、その一言が出てこない。

こんなとき、藍のように女が喜ぶ甘い言葉を吐けたら。玄のように想いをストレートにぶつけられたら。

誰かのようになれたら、なんて。
らしくもない考えが、ぐるぐると頭を駆け巡る。
これまで西園寺藤である自分自身に、絶対的な自信を持っていた。その自信が揺らぐことはなかった。誰もが認める完全無欠の西園寺藤。恐れるものなどなにもなかった。

――なのに。彼女の前になると、ひどく臆病な感情が生まれる。
――でも、だからこそ。

「わ、わるかった」

気づけば藤の口からは、無意識にその言葉が飛び出ていた。
彼女の目が、驚いたように見開かれる。

(何が正解なのかはわからねえ。でも、これまで俺のままだと、駄目だっつーのはわかってる)

「……お前の機嫌を損ねるようなことを言ったのなら、謝る。だから……何も言わずにどこかに行くのだけは、やめてくれねえか」

――俺はお前を、傷つけたいわけじゃない。

そう口にした途端、聞こえてきたのは彼女の笑い声だった。

「な、何笑ってんだよ」
「ふふ、はははっ」
「おい。笑ってねえで答えろ」
「だって、藤さんがあまりにも必死だから」

けらけらと笑い声をあげる彼女を見て、もやもやとしていた感情が一気に引いていく。

「私も意地を張ってすみませんでした。でも、藤さんの欲しいものをあげたいっていう私の気持ちもわかってほしかったんです」
「だから、どうして――」
「贈り物は、『物』じゃなくて、気持ちですから」
「……きもち」
「藤さんの喜ぶ顔が見たくて、プレゼントを渡したいって思ってるんです」

(俺の喜ぶ顔……プレゼントを、渡して、俺が喜んだ顔が見たい……って)

――ああ、そうか。
それは、俺がこいつの笑顔を見たいと思うのと一緒の理由で。

「くっ、はは。なんだよ。そういうことかよ」
「……?」
「お前、俺のことが大好きってことだろ」
「なっ……」

彼女は一瞬口ごもるものの、恥ずかしそうに目線をそらし、呟く。

「まあ、間違いではないですけど……」
「フン。だったら最初からそう言えよな」
「そんなの言わなくても察してください!」
「バーカ。俺がんな面倒なことできるわけねえだろうが」
「もう……本当に女心わかってないんだから」
「――でも、お前の気持ちは、ちゃんと受け取ったぜ」

藤が腕を引き寄せ抱きしめると――今までの対抗する態度はどこへいったのやら。彼女は珍しく、藤の腕の中へとすんなりおさまった。

「んだよ、抵抗しねえのか」
「……はい」
「どうして」
「私も藤さんに抱きつきたいって思ってたから……」

恥ずかしそうに呟かれたその声に、藤の心臓が締め付けられる。

(こいつ、本当に俺の調子を狂わせてきやがる)

「……あー、クソ。お前のそういうところ、本当にずりぃ」
「なっ、思ったことをそのまま言っただけ――」

言葉を制止するかのように、藤はそのまま彼女へと深くキスを落とす。
何度も何度も、角度を変えて、その唇を貪った。

「ん……っ」

苦しくなったのだろうか、身体を引き離そうとするその両腕。
藤がそれをあっさりと掴み上げると、上気した頬と潤んだ瞳が、彼の視界に入り込んだ。

「……はしたねえ顔しやがって」
(んな顔されたら、理性もなにも吹っ飛んじまうだろうが)

藤はそのまま、後ろのベッドへと彼女を押し倒すと、その身体を組み敷いた。

「ふ、藤さん!?」
「誕生日プレゼント。何が欲しいか教えてやろうか」
「え……」
「物はいらねえ。俺は、お前がいい」

――なにそれ、と反論してこようとした彼女の顎を掴み上げて、藤はふたたびその小さな唇に噛みつくように口付ける。
(もう止めてやるつもりなんてねえよ、バーカ)
愛しい恋人は情事を終えたら、きっと顔を真っ赤にして怒ってくるだろうと思いながら、藤は彼女に「愛してる」と囁くのだった――

SS:02 藍の策謀

静寂に包まれた部屋の中は、時計の針音だけが響いている。

――部屋の中には、俺と彼女のふたりだけ。
ベッドヘットに背を預け足を伸ばしている彼女。その意識は手元の雑誌へと向けられている。
俺はその横にうつ伏せに寝転がり、そんな彼女の横顔をぼんやりと眺めていた。

(……あーあ、せっかく二人きりなのに)

藤くんと玄がふたり揃って不在というのは珍しかった。
久しぶりの、ふたりきりの時間。誰にも邪魔されない時間。しかし彼女はいつもと変わらない様子だ。

俺と彼女は、現在は恋人同士になったわけで――。
それでも相変わらず、彼女から接触してくることは少なかった。

キスをするのも、抱きしめるのも、愛してるって言うのも――いつも俺から。
彼女はいつも恥ずかしそうにそれを受け入れてくれるけど、でも、俺としては少し物足りない。もうちょっと、俺と恋人なんだって自覚があってもいいんじゃないかと思う。

自分から愛を表現することが苦なわけではないけど――ただ。
もっともっと、俺の元へ落ちてきてほしいと願ってしまう。

(もう俺だけしか見えなくなっちゃえばいいのに)

いっそのこと、彼女を小さな部屋の中にでも閉じ込めてしまいたい。彼女に関わるすべてのものを遮断して、俺からの愛しか受け取れなくさせてしまいたい。
泣いても叫んでも、絶対に出してあげないんだ。やがて涙も枯れ果てすべてを諦めた頃に、そっと彼女を優しく抱きしめて、キスしてあげたい。俺が居るからもう大丈夫だよって、頭を撫でながら。

(駄目かなあ、そういうのって)

危険な思考だということは、言われなくても分かっている。自分が一人の女にここまで入れ込むなんて夢にも思っていなかった。けれど、仕方ない。
俺は彼女に出会ってしまったのだから。
この心はもう、彼女で埋め尽くされてしまっているのだから――。

雑誌を眺める彼女の透き通った瞳は、何度見ても美しく感じる。

(この瞳に映るすべてが俺だけだったらいいのに)

「ねえ、キスして」

――何の前触れもなく、そんな事を告げたからだろう。隣に座る彼女が、きょとんとした表情でこちらに目を向けた。

「え……何ですか、急に」
「何って、言葉のまんま。俺にキスしてみてよ。お願い」
「は……?」

今度は訝しげな目線を向けてくる彼女。期待通りの反応が返ってきて、つい頬が緩みそうになる。悟られないよう何食わぬ顔をしながら、俺は上体を起こすと、彼女の柔らかな頬を人差し指で優しく撫であげた。

「いいじゃない。君からしてほしくなったの」
「む……っ、無理です!」
「どうして?俺は君の恋人だよ?その恋人が、キスしてってお願いしてる。何が駄目なの?普通、するでしょ」
「そういう問題じゃなくて……急に、どうしたんですか?」
「どうもしてない。キスしてほしくなっただけ。だから、ね、して」

――また変な事言ってる。
口に出されずとも、彼女の視線からそのメッセージを受け取ることができた。
からといって、引く気はさらさら無い。

俺は彼女の耳元に唇を寄せると、

「駄目なの?ねえ、お願い」

いつもよりも低く甘い声色で囁いてやった。

途端に、面白いほど耳まで真っ赤になった彼女が、身体を縮こませた。
この子が誰よりも分かりやすくて、翻弄しやすい人間だということは、きっと俺が一番理解している。

「あれ、どうしたの。顔赤いよ?熱でもあるのかなあ」

彼女の前髪を少しかき上げ、俺は自分の額を彼女の額へとくっつけた。
唇と唇が今にも触れてしまいそうな距離。
彼女はごくりと唾を飲み込んだ。

「熱いね。本当に熱が出ちゃってるのかな。それとも……俺にキスするのが恥ずかしくて、こんなに身体を熱くしてるの?」
「ち、ちが……恥ずかしく、なんて」
「へえ、恥ずかしくないんだ。ならしてよ。ほら……はやく」

向こうの吐息が唇へとかかるたびに、俺の理性は侵食されていく。
彼女の唇を今すぐにでも激しく奪ってしまいたい衝動に駆られるが――まだ、駄目だ。

「ら、藍さん……私……」
「なあに?恥ずかしくないなら、出来るでしょう?」
「………っ」
「あれ?どうして出来ないの?俺のこと、嫌い?」
「そ、そんなわけ!」
「じゃあ何?」

ぎゅっと目を瞑る彼女が、

「……好き、です」

絞りだした声でそう呟く。
そしてそのまま、俺に優しく口づけた。
それは、唇と唇をくっつけるだけの、子供同士がするかのような可愛らしいキスだった。

瞬間、おどろくほど自分の征服欲が満たされていくのを感じる。
恥じらいに涙を浮かべるその瞳は、俺の欲望を掻き立てるには十分過ぎるものだった。

「よくできました。えらいね。……俺も、好きだよ」
「ん……っ」

ご褒美をあげるかのように、彼女の頬に手を添えて深い口づけを落とす。
薄く開いた唇の隙間から舌を滑り込ませると、躊躇いがちに、彼女がそれに応える。

「……っ、好きだよ、……愛してる」

キスの合間に吐いた言葉に反応したのか、俺の服をぎゅっと掴む彼女。
俺は何度も角度を変えながら唇を貪った。力を抜かしはじめた彼女の身体を、ベッドへと組み敷く。

唇を少し離すと、彼女の瞳から涙が伝っていることに気付いた。

「泣いてる」

親指でそっと涙を拭ってやり、俺は彼女のまぶたに唇にキスを落とす。

「でもね、もう優しくしてあげられそうにないや。今からもっと泣かせちゃうと思う」
「っ………!」
「うん、駄目だよね。わかってる。でも、ごめんね」

いや、と弱々しく首を横に振る彼女に気づかないふりをして、俺はその唇に再び口づけた。服の中に滑り込ませた手を、彼女が赤子のような力で掴もうとした。

「駄目、この手は俺の首に回して」

こんなところで止められちゃ、生殺しもいいところだっつーの。

(あーあ。俺、こんながっつくタイプじゃなかったのになあ)

終わったら、沢山甘やかしてあげなきゃ。
だから今からは、俺はすこしワガママになってもいいよね。いいでしょう?

(まあ、君だったら結局は許してくれるってわかってるんだけど)

髪を優しく撫でてやると――彼女は俺の指示したとおり、躊躇いがちにではあるが、俺の首へと腕を回しぎゅっと抱きついてきた。

(そう。君は、結局俺に逆らえないんだもんね)

俺は彼女に気づかれないよう、厭らしく口角を吊り上げた。

SS:03 藤とのクリスマス

――クリスマスイブ。聖なる日。
そして、それは一番大切な人の誕生日でもある。

私は彼の部屋の前で深呼吸をすると、意を決して扉をノックした。
しかし、中に居るはずの彼から返答はない。

「……失礼します」

申し訳ないと思いつつ、ドアノブに手をかけ、扉を開く。
隙間から部屋の中を覗き込むと、机に向かい、難しそうな化学式が羅列された本に目を通す藤さんが居た。

よほど作業に集中しているのだろう。私がドアを開けたことに気づいていないようだ。
片手でノートPCのキーボードをいじりながら黙々と作業に打ち込む姿は、あの我儘大魔王と同一人物だとは思えなかった。

「藤さん、すみません。少しだけいいですか?」

呼びかけると、やっとこちらに気づいたらしい。
視線が私へと向けられたかと思えば――それはまたすぐに、手元へと戻されてしまった。

「何だよ。なんか用か」

低音で、どこかに冷たさを含んだ彼の声。
作業中の藤さんは、もっぱらこんな態度だから気にしないけれど。

「はい、ちょっと渡したいものがあって……」

私は彼の部屋の中へと足を踏み込みながら、両手に持ったお盆の上に乗るデコレーションケーキに目を落とす。
カラフルなフルーツで彩られ真ん中の白いプレートには「Happy Birthday」の文字。

――そう、今日は藤さんの誕生日だ。

この日の為に、数日前から何回も試作を重ねてきたケーキ。
初挑戦ということもあり、ケーキ作りは想像以上に難しかった。この数日、何度失敗したかわからないが、今朝ようやく満足いく出来のものが完成したのだ。
食にはうるさい藤さんにも、合格点をもらえそうなのが、やっと。

(美味しいって、言ってくれるといいな……)

心の中には、ほんの少しの期待が生まれていた。

「なんだそれは」

藤さんはケーキの存在に気づくと、不可解とでもいうかのように、眉間に皺を寄せた。

「クリスマス兼、誕生日ケーキです」
「……誕生日ケーキ?」

切れ長の瞳が、大きく見開かれる。

「もしかして、自分のお誕生日忘れてました……?」
「やべえ……完全に忘れてた。そうか、もう24日か」

――この数日、藤さんはこの部屋に籠もりきりだった。
来週に控えた学会の資料作成に追われつつ、自分の研究も進めなければいけないらしい。
食事はおろか、睡眠さえちゃんと取っているのかと心配になるほどだった。
今日くらい、少し肩の力を抜いてもいいのではないかと思う。

(それに、せっかくの誕生日だし……一緒にお祝いしたい)

私の気持ちに、藤さんは気づいているんだろうか。

「…………そのケーキ、お前が作ったのか?」
「そうですけど……」
「俺の、為に」
「……?はい、そうです」

どうぞ、と目の前にケーキを差し出してみるものの。
彼はそれを受け取らずに目をそむけた。

「フ、フン!前も言ったろ。誕生日は何もいらねえって」
「…………」
「大体、この俺が庶民の作ったケーキなんて食うと思ってんのかよ」

そう言いながらも、彼の口元が緩んでいることに私は気づいていた。
こういう時の藤さんは、驚くほどに素直じゃない。

――だったら、こちらにも考えがある。

「そうですか。なら……残念ですけど諦めますね」
「え」
「藤さんのお口に合うかどうかわからないですし……。これは、藍さんと玄さんに食べてもら――」
「おい待て!!」

踵を返した途端、後ろから腕を掴まれる。
振り向くと、藤さんが物凄い形相で私を睨みつけていた。

「あいつらには食わせんな。いいか、ぜってー食わせんな!」
「え……でも、藤さんがいらないって」
「し、仕方ねえから食ってやる。庶民が作ったケーキがどれほどのもんか、この西園寺藤様が味見してやる」
「…………」

――嬉しいなら嬉しいと、口に出して言えばいいのに。
西園寺藤のプライドは、エベレストよりも高い。
けれど、弟達を引き合いに出されると途端に弱くなることも、私はよく知っていた。

――そんなところも、この人の可愛らしい一面なのだけれど。

「それじゃ、切り分けますね」
「待て」
「はい?」
「どうして皿が一つしかない?」
「……え?」

自分の分の取り皿とフォークしか用意されていないことに気づいたのか、藤さんは少し不満そうに顔を歪めた。

「お前の分の皿はどうした?」
「いや、これは藤さんの為のケーキで――」
「お前も一緒に食え。これは命令だ」
「…………」

驚いて固まる私を見て恥ずかしくなったのか、彼は視線を横に逸らすと、

「……特別に、この西園寺藤様の誕生日を祝わせてやる。こ、恋人としてな」

聞こえるか聞こえないかくらいの、小さな声でそう呟いた。

「…………ふふっ」
「な……なに笑ってんだよ!」
「いえ……ふふっ、ありがとうございます……ふふふっ!」
「笑うな!!」

顔を赤らめて怒る藤さんを見て、私は更に笑い声をあげた。
我儘で王様。いつも自信満々のナルシスト。素直じゃなくて意地っ張り。

――彼の悪いところをあげればキリがないというのに。どうしてこの人を、こんなにも愛おしいと思ってしまうのだろう。

「わかりました。お皿、持ってきますね」
「……さっさとしろ。ついでに、シャンパンも」
「あれ、お酒飲むんですか……?」
「誕生日くらい、休憩してもいいんだろ……。いいから、持って来い」

照れているときの藤さんは、少し口調が幼くなる。
そんな彼を微笑ましく思いながら、私はこくりと頷いた。

***

「お誕生日、おめでとうございます」
「……ん」

コツン、とシャンパンが注がれたグラス同士が音を立てる。
藤さんは上品にグラスに口をつけると、シャンパンを流し込んだ。

「はい。ケーキもどうぞ」

皿に取り分けたケーキを差し出すと、彼は無言でフォークを手に取った。

「…………っ」

ケーキを口へと運んだ瞬間、目を丸くして私を凝視する藤さん。
美味しくなかったのだろうかと不安になり、耐えきれず彼へ問いかける。

「ど……どうですか?」
「う、美味い」
「本当ですか!?よかった!」
「いや、つーか……なんだこれ、本当にお前が作ったのか?」
「当たり前です!」
「……甘さも、スポンジの焼き加減も丁度いい……」
「前に藤さんが、甘すぎる食べ物は苦手だっておっしゃっていたので。そうならないように、甘さ控えめにしてみたんですけど……」

藤さんは私の言葉に、また頬を赤らめた。

「んなことまで覚えてんのかよ。ハッ、どんだけ俺が好きなんだっつーの」
「藤さん、顔が赤いですよ?」
「赤くねーよ!」

照れ隠しをするかのように、ごくごくとシャンパンを飲み込む藤さん。
自らボトルを取ると、空になったグラスに勢い良く注いでいく。

「あの、飲み過ぎじゃ……」
「うるせえ、黙ってろ」
「でも、藤さんお酒弱いのに」
「いいんだよ。……今日くらい、酔っ払ったっていいだろ」

――誕生日なんだから。
そう言いながら、藤さんは私の腕を引く。
椅子に座る藤さんの膝の上、対面するような形で抱きかかえられてしまった。

「は、恥ずかしいからおろしてください!」
「嫌だ」

すでにアルコールがまわってきてしまっているのだろうか。
いつもは鋭い目つきしかしない瞳が、どこか潤んでいる。
私を見上げた彼は、はっきりしない口調で、囁いた。

「なあ、シャンパン、お前が飲ませろよ。口移しで」
「は……!?」
「んだよ、いいだろうが」
「ちょ……藤さん酔っ払ってます?」
「酔っ払ってねーよ、ばーか」

へへっと笑う藤さんに、頭を抱える私。
どう考えても、酔っぱらいはじめている。

「お、お水飲みましょうか」
「こら、逃げんな」

膝の上から退こうとした私の腰をしっかりと掴んだ彼は、にやりと笑う。

「お前がやらねえなら、俺がやる」
「待っ、藤さ――」

グラスを傾け一気にシャンパンを口に含んだ藤さんは、そのまま私の唇へキスをした。

「ん………」

抵抗する唇を、無理矢理こじあけられ、私の口内にシャンパンが流し込まれた。
喉を通りぬけるアルコールが熱く感じたけれど、口内で絡みつく藤さんの舌の方がよほど熱を持っている気がした。
だんだんと抵抗する力がなくなった私は、そのまま彼の深いキスに、必死で応えることしかできない。

ようやく唇を離してもらえたかと思えば、藤さんは激しい口づけに息を荒げた私を、熱を含んだ視線で見つめる。

「お前……その顔、ずりぃ」
「な、なにが……」
「可愛過ぎて、ずりぃ」

私の胸に顔を埋める藤さんが、まるで子供のようで。
思わずその頭を優しく撫でると、彼は私の身体をぎゅっと抱きしめた。

「お誕生日おめでとうございます、藤さん」
「…………」
「藤さん?」

顔を覗き込むと、気持ちよさそうに目を閉じている彼。
きっと眠くなってきたんだろう。
だからあれほど飲み過ぎるなと言ったのに。

――でも、今日はお誕生日ですもんね。
愛しい恋人の髪を撫でながら、私は心の中で、もう一度「おめでとう」と呟いた。

SS:04 藍とのクリスマス

――三日後にクリスマスを控えた今日。
私は自室のベッドの上、藍さんと向き合う形で正座をしている。

「あーもうごめん!ほんっとにごめん!」

目の前でガバッと勢い良く土下座をする彼。
私は笑いながら、首を横に振った。

「謝らないでください。お仕事なんだから仕方ないですよ」
「うう、でも……」
「困ってるんだから、助けてあげないと」

ことの発端は、藍さんの元にかかってきた一本の電話だった。
相手は、彼がモデルの仕事をしていた頃から親交のある、モデル事務所の担当者。

来月号で雑誌の表紙を飾るはずだったモデルが、急病で入院してしまったらしい。
代わりを頼めるのは、藍さんしか居ないという話だった。
モデルの仕事を辞めた今でも、藍さんの元には時折こんな風に、連絡がくることが度々あった。
それほど被写体としての価値が高いのだろう。

お世話になった手前、そういう事情ならば――とOKを出したのも束の間。
そこには思いもよらぬ落とし穴があった。

なぜ、彼がここまで落胆しているのかというと――。

「よりによってクリスマス当日に撮影なんて!日程の連絡来たの今日だよ!?最初から撮影日わかってたら、絶対に受けなかったっつーの!しかも深夜までとか、ありえなくない!?クリスマスは君と旅行するって決めてたのに!信じられない!」

普段、取り乱すことのない藍さんだが、今日は大荒れしている。

――クリスマスに二人で旅行に行く予定だったのは本当だ。
ちゃんとイルミネーションを見に行ったたことがないと言った私に、『なら、クリスマスは二人でイルミネーション見にいこう!どこがいいかな?いっそ国外にしちゃう?』そう言って、無邪気な笑顔を浮かべていた藍さん。

その後も、彼が色々とデートプランを練ってくれていることを知っていた。
――けれど。現実問題、こうなってしまったことは仕方がない。
一度引き受けた仕事を土壇場でキャンセルしてまでデートを優先されても、後味が悪いだけだ。

「藍さん、私なら大丈夫ですから。ね?」

すると、ジトッとした視線で彼が私を睨んだ。

「なんでそんな聞き分けいいの。君は悲しくないの?」
「別の日に二人でお祝いすればいいじゃないですか」
「クリスマスは1日しか来ないもん」

これまで見たことないくらい、藍さんが小さな子供のようで。
その姿に少し笑ってしまった。

「笑わないでよ」
「ごめんなさい、なんだか小学生の男の子みたいで」
「っ……!仕方ないでしょ!クリスマス楽しみにしてたんだから」
「私も楽しみにしてましたよ」

恋人同士になって初めてのクリスマス。
楽しみにしていないわけがなかった。

――でも。

「当日じゃなくても、私は藍さんと二人でお祝いできれば、それでいいかなって思ったんです」
「…………っ」

拗ねて口を尖らせていた藍さんが、ハッとした顔で私を見つめる。
そして――小さく「わかった」と呟くと、藍さんは見違えるほどおとなしくなった。

「がんばってくださいね、撮影」
「……うん」

藍さんはどこか腑に落ちない様子で、こくりと頷いた。

***

――12月25日。時刻は22時50分。
一通り家事を終えた私は、西園寺家の広いリビングの真ん中に置かれたソファの上に腰をおろした。
テレビでは、クリスマス特番の楽しそうなバラエティ番組が放映されている。
楽しそうに笑うお笑い芸人をぼんやりと見つめながら、私は小さくため息を吐いた。

日中、彼を快く送りだしたものの。
この広い邸宅の中に一人だけで過ごしていると、寂しさを感じてしまう。

(藍さん、いつ撮影終わるのかなぁ。何時に帰ってくるんだろう……)

――するとその時、丁度私のスマートフォンが音を鳴らす。
画面に映し出された『西園寺 藍』の文字を見て、心臓が高鳴った。
急いで電話を取るものの、浮かれてるのが悟られないように、落ち着いて声を出す。

「もしもし?」
『あ、もしもし、俺!今、家だよね?』
「はい、そうですけど……」
『良かったー!ね、今からちょっと外出てこれる?』
「え?」
『場所はメールするから!指定するところまで来て!よろしくね!』

一方的に電話を切られてしまい、何がなんだかわからない。
直後、言葉通り送られてきた藍さんのメールを開封すると――

(……これ……家の近くの)

メールに記載されていた場所は、西園寺家のすぐ近くにある高台の上の公園。
一体、藍さんはここで何をするつもりなんだろう。
全く予想がつかないが、私は彼の言うとおり、指定された場所へ向かうことにした。

***

――時刻は23時20分。
公園に辿り着くと、遊具近くのベンチにぽつりと座る藍さんの姿があった。

「あ、きたきた!」

藍さんは私の姿を見つけるなり笑顔になって、大きく手を振ってくれる。

「ごめんね、突然呼び出して」
「藍さん!一体どうしたんですか……?っていうかお仕事は……」
「ふふふ。頑張って、巻きで終わらしてきた!やっぱり、クリスマス当日は君と過ごしたくて。ってゆっても、もうすぐクリスマス終わっちゃうけど」

――でも、と藍さんは続ける。

「やっぱり一緒に見たかったんだ。豪華なイルミネーションじゃないけど、許してね」
「……え?」

藍さんは、こっちに来て、と私の手を引いて公園の奥へと歩いて行く。

「藍さん、そっちは立入禁止じゃ――」
「大丈夫大丈夫」

立入禁止と書かれた看板が引っかかるフェンスを乗り越え、小さな雑木林の中に入っていく彼。
この先に一体なにがあるのか、私のこころには少しの不安と期待のようなものが入り交じっていた。

――やがて、少し歩いていくうちに、遠くから小さな光が視界に入り込んでくるのがわかった。近づいていくたびに、どんどんと増えていくその光。

「小さい頃さ、見つけたんだよね!ここは誰にも教えてない、俺のとっておきの場所!」

振り返りながら笑顔を向けてくる彼が、やけにきらきらと輝いて映った。
そして――雑木林を抜けたその先、私の視界には光につつまれた街全体が映り込んだ。

「どう!?綺麗じゃない?」

藍さんの言葉に、私はこくこくと頷くと。
高層ビルの灯りや、一軒一軒の家の灯りが、宝石の粒のように遠くまで一面に広がっていた。

まるで街全体が、宝石箱の中身のように、きらきらと輝いているようだった。
私はあまりの美しさに声をだすことも忘れて、固まってしまう。

「ちゃんとしたイルミネーションを見せてあげられなかったのが残念だけどね。今日はこれで勘弁してくれる?」
「…………」
「って、あれ……?お、おーい……?やっぱり、ダメだった……?」

藍さんが私の顔を覗き込んできた瞬間、ハッと我に返る。

「あ……ごめんなさい、違うんです!あまりにも綺麗だったからビックリして……こんな綺麗な景色……見るの、初めてだから」
「ほんと!?うわーそう言ってくれてよかったー……!」

がっかりされたらどうしようかと思っちゃった、と安堵の表情で笑う藍さんを見て、胸がきゅっと締め付けられる感覚がした。

「嬉しい、です。すごく」
「……君が笑ってくれると、俺も嬉しい」

はにかんだように微笑まれる。
私は今にも抱きついてしまいたい衝動に駆られてしまう。
そんな下心を隠すかのように――私は「寒いですね」と何気ない言葉を口にして誤魔化した。

すると藍さんは、その言葉に「あ」と声を出す。
そして肩にかけていたカバンの中から何かを取り出すと、それを私の首にふんわりと巻き付けた。

「はい、どうぞ」
「へ……」
「今日のプレゼント。あ、『今日の』だからね!?後日、ちゃんとお祝いするとき、また渡すから!……君、寒がりのくせにいつも薄着だからどうせ今日も寒い格好でくるんだろうなと思って……それで」

へへ、と今度は可愛らしく笑う藍さん。

(……藍さんって、こういうところがずるい……)

赤いマフラーから伝わってくるのはあたたかさだけじゃない。
彼の優しさや愛までもが、熱と一緒に伝わってくるようだった。

「……藍さん、ずるいです」
「え?」
「こんなに喜ばせるなんて、ずるい……」

耐えきれなくなった私は、勢い良く藍さんの身体に抱きつく。
藍さんは嬉しそうに「喜んでくれた?」と言いながら、優しく抱きしめ返してくれる。

そして藍さんは、ポケットから携帯を取り出すと、画面を確認し笑った。

「あ、23時50分。伝える前に日付変わらなくてよかった」
「え?」

顔をあげた瞬間、藍さんは優しく私の唇に口づける。

「……メリークリスマス」

彼の唇の温度が、優しい心が、私の心の中までもを、あたためていく。

――メリークリスマス。
来年も、その先のクリスマスも、ずっと藍さんと二人でお祝いできますように。

SS:05 玄とのクリスマス

――年頃のせいだろうか。
それとも、彼の性格のせいだろうか。

「俺、クリスマスとか興味ないから。サンタとか昔から信じてないし」

今年のクリスマスはどうするのかと問いかけた返答が、これだった。
玄さんが年の割に現実主義者で、冷めている男の子だっていうことはわかっていた。

――けれど。

「クリスマス、一緒にお祝いしませんか?」
「はぁ?なんで」
「う……わ、私が玄さんと一緒に過ごしたいからです」

――やっぱり、クリスマスは大好きな人と過ごしたい。
彼は私のストレートな申し出に、無表情を崩さなかった。

はあ、と大きくため息をつくと、そっぽを向いてしまう。

「別に……あんたがどうしてもっていうなら、聞いてやらないこともないけど?」

反対側へ向けられた彼の顔がどんな表情をしていたのかはわからない。
けれど、玄さんの耳が赤く染まってるような気がしたのは見間違いだろうか――

***

――クリスマス当日。
藤さんも藍さんもそれぞれ用事があるらしく、西園寺家には玄さんと私の二人だけだった。

玄さんと家の中で二人きりになるということは珍しい。
好きな人と”二人きり”という状況に、どこか緊張している自分が居た。
気づかないふりをしながら、私はお祝いの準備を進めた。

数時間後。
リビングへと降りてきた玄は、テーブルに並べられた料理の数々を見て、大きく目を見開いた。

「……これ全部一人で用意したの?」
「はい。なんか気合入っちゃって……」
「どんだけ楽しみにしてたんだよ。クリスマスごときでおめでたい女」
「どうせなら、玄さんの好きなものを食べてほしいなって思って……」
「ふうん。あんた、俺を喜ばせたかったんだ?」
「……あ、当たり前です!」
「へえ、あっそ。ま、いいけど」

口ではぶっきらぼうな言葉を吐いても、玄さんが本当は誰よりも優しい人だっていうことは分かっている。

(……ほら、こうやってちゃんと食べてくれる)

席について、私の用意した料理を食べ始める玄さん。
減らず口を叩きながらも、なんだかんだこういうところは素直だと感じる。

「……味、どうですか?」
「ま、あんたにしては良く出来てる方なんじゃないの」

正直に「美味しい」と言わないところも、ひどく彼らしい。
それでも、良く出来てると言ってくれたことが嬉しかった。

玄さんの正面の席に座りながら、彼の食事風景を見つめる。
無意識のうちに頬が緩んでいたらしく、その姿に気づいた彼が、訝しげな表情でこちらを睨んだ。

「……なにニヤニヤしてんだよ」
「あ、すいません……!食べている玄さんが、可愛らしくて」
「は……何言ってんだよ!って、ていうか、あんたもさっさと食べろよ。俺一人じゃこんな量、無理だから」

藤さんや藍さんに「可愛い」と言われれば、手がつけられないくらいに怒るけれど――
私が時折「可愛い」と言うと、玄さんは異常に慌てるのだ。

――西園寺家にやってきた当初は、玄さんに恋をするなんて思っていなかった。
兄弟の中で、私に対して一番拒絶反応を示してきたのは彼だったから。
だから今こうして、目の前で私の作った料理を照れながら食べる彼を見ていると、何処か不思議な気持ちになる。

「なんだよ、今度は真顔でジッと見て」
「へ、ジッと見てました?」
「見てただろ」
「いや……なんとなく、西園寺家にやってきた頃のことを思い出していて」
「は?なんで」
「あの頃、玄さんにすごく嫌われてたなって」
「そうだね。俺あんたのこと超嫌いだった。脳みそお花畑の大量生産型バカ女がきたーって思ってたし」
「バカ女って……」
「事実だろ。ま、バカなのは今も変わんないか。ははっ!あんた、騙されやすいもんね。ちょっとは人のこと疑えっつーの。そんなんだから藤くんや藍くんにもからかわれるんだよ」

小馬鹿にしたように笑う玄さんに、私は苦笑いを見せた。

この家にやって来た頃なら、「バカ」だの「お花畑」だの言われようが、なんとも思わなかった。
けれど――今は、あの頃とは違う感情が生まれている。
それはきっと、私が玄さんのことを好きになってしまっているから。

――彼の歯に衣着せぬ物言いが、近頃は刃物のように感じてしまう時がある。

「そうですね、もう少し私も成長しないといけないかもしれません」
「……………?」

うまく笑えているような気がしたのだが――玄さんは私が思っているよりもずっと敏かった。
こちらの感情の機微に気づいたのだろう、彼は静かに食事をする手を止めた。

「あんた、無理して笑ってんのばればれなんだけど」
「えっ!?」
「何、今俺が言ったことでなんか傷ついたわけ?あんなんいつも言ってるだろ」
「いや、私は、全然大丈夫で――」
「嘘つくな」

そのまま席を立ち上がった玄さんは、こちらに近寄ってくると、ドサッと私の隣の椅子に座り込んだ。
いつもとは違う玄さんが怖くて、私は彼の顔が見れずに下向いてしまう。

「ほら、何が気に食わなかったのか言ってみなよ」
「別に気に食わなかったなんて……」
「……じゃあ何?あんたはさぁ、俺に何を望んでんの?」
「え……?」
「どうして俺と一緒にクリスマス過ごしたいって言ったわけ?答えてみなよ」
「そ、それは……」
「俺のことが、好きだからじゃないの?」
「えっ!?」

思わず顔をあげたのが間違いだった。
玄さんはニヤリと口角を吊り上げながら、机に肘をついている。

「へえ。あたりだ」
「あ……えっと、それは!」

私が言い訳を考えている間に、あっさりと腕を捕まれ、玄さんの方へ引っ張られる。
彼は耳元にそっと口を寄せると、色っぽい声で呟いた。

「俺がちょっと言っただけでへこむくらい、俺のことが好きになっちゃってるんだ?」
「いや、え!?あああああの……!」

真っ赤になって口をぱくぱくとさせる私に対して、

「そんなに好きなら、今ここで俺にキスしてみてよ」

とんでもない爆弾発言を落としながら、彼は涼やかに笑う。

「なな、な、何言ってるんですか!?」
「俺のこと好きなんでしょ?なら、出来るよね」
「それとこれとは話が別で……っ!」
「うるさいな。俺がやれっつってんだから、やるんだよ」

――ほら、と顔を近づけられる。
玄さんの綺麗な顔が、目の前に惜しげもなく出され、私の心臓は今にも口から飛び出てしまいそうになる。

身体を硬直させ、ぴくりとも動かなくなった私を見て、玄さんはぷっと吹き出すと、今度は年相応らしくげらげらと笑い始めた。

「あははは!あんたってさ、ほんとからかうと面白いよな!」
「……っ!?」
「顔近づけただけで、そこまで固まるとか……ウブかよ。恋愛経験無い女の典型って感じ」
「な、それは失礼でしょ……!」
「はっ、本当のこと言って何が悪いんだよ」
「わ、私だってちょっとは恋愛経験くらいあります……!」
「へえ。あるんだ?じゃあ当然、男とキスしたこともあるよね?」
「あ、ありますとも!」

強く肯定する私に対し、玄さんは「あっそ」と冷たく言い放つ。
そして、テーブルの上に置かれたケーキに目をやると、デコレーション用のチョコで作られたプレートを指でつまみ上げた。

「なら、これ。俺の口から取ってみなよ」
「へ!?」
「あんたが自分の口でこれ取れたら、今の話、信じてやるよ。もし恥ずかしがってやらなかったら、俺があんたに無理矢理キスする」
「はああ!?…………っ、な、なんでこんな意地悪な事するんですか……」
「なんでって……わかんないの?好きな女いじめたいから」
「………っ!?」

彼の口からあっさりと飛び出た衝撃の言葉に、驚く暇も、喜ぶ暇もなかった――。
チョコプレートを口にした玄さんは、私が逃げられないようしっかりと腕をつかむと、そのままゆっくりと顔を近づけてくる。

「ほら、早く」
「む、むむむ無理です!」
「無理じゃない。はーやーく」

――どうせ私が逆らえないとわかっていて、この人はこういう事をするんだ。

「どっちにしろ、あんたと俺がキスしなきゃいけないってことには変わりないんだから」

ね、と可愛らしく笑う玄さんを見て、勝てないと思ってしまう自分が情けない。
私は震える唇でチョコプレートを咥えながら、見栄を張るためだけにとんでもない嘘をついてしまった自分に、盛大に後悔をするのだった――。

SS:06 西園寺三兄弟のお正月

 1月1日、謹賀新年。
 一年の幕開けとも言えるこの日――西園寺兄弟は珍しく三人肩を並べ、日本有数の人手を集める神社へ訪れていた。

 性格さえのぞけば、芸能人にも引けを取らないほどの美貌を兼ね備えている彼ら。
 黒の袴姿に身を包み颯爽と歩く三人は、神社へ足を踏み入れた途端、参拝へ訪れている者達の視線をあっという間に攫っていく。

 が――当の本人達にしてみれば、注目を浴びていようが、そんなもの知ったことではない。
 
「ねえ! よくよく考えたらさ、俺たち初詣って来たことないよね?」
「あーそうかも。正月はいつも海外に居たしね」
「初体験……! うわあ、なんかドキドキしてきたなぁ」
「正月に神社来たくらいではしゃがないでよ、恥ずかしいじゃん」

 浮足立った様子で、きょろきょろと周囲を見回す次男の藍に続き――冷静に、否、面倒くさそうに答えたのは末っ子の玄だった。

 ――そう、今日は三兄弟にとって初めての初詣なのだ。
 これまでの年末年始といえば、彼らはロサンゼルスの別邸で過ごしていた。
 それは西園寺家の恒例行事ともいえるものであったが、なぜ今年向こうへ行かなかったのかというと――日本を離れたくない理由が出来てしまったのだ。言わずもがな、三人共同じ理由だろう。

「チッ……クソ、庶民がうじゃうじゃ居やがる」

 西園寺家の長男・藤は、溢れかえる人々を目にし、眉間に皺を寄せる。
 藤は人混みが大嫌いだった。
 自分の思い通りに歩くことができない窮屈な状態はもちろんのこと、藤が『庶民』と呼ぶ人種が溢れかえるような場所に居たくないからだった。
 生まれて二十数年、『西園寺藤こそが世界の頂点であり最も特別な人間』だと誤信している彼らしい考えである。

「チッ、ゴミみてえな人間の数だな」

 藤は大きく舌打ちをしながら、自分に注目するギャラリーを睨みつけた。
 すると、目が合ったと勘違いをした女性たちが次々に悲鳴をあげ、頬を赤らめていく。
 藤はその光景を鼻で笑った。

「低俗な庶民の女共が。ま、俺のあまりの美しさに圧倒されて、見惚れちまうのはわかるけどな」
「うんうん、そうだよねえ。藤くんすーっごく格好いいもん。みーんな藤くん見ちゃうよねえ」

 藤の右隣を歩く次男・藍は、長男の振り切ったナルシスト発言を慣れたように笑い流す。
 雑誌モデルの仕事もしている藍は、高身長で小顔な上、ハーフのようにくっきりとした端正な顔立ちだ。
 はっきり言ってしまえば、三人の中で一際目を引くルックスをしているだろう。
 藍自身、その事実をわかっているが――彼は決して自ら主張せず、あくまでも常に藤を立て、上手くころがす。
 この方法が最も平和かつ、己が不利にならないルートだと知っているから。
 尚、腹の底では藤に対しどんな薄汚れた感情を抱いているかはわからない。
 藍が表面上で使う無敵の笑みは、心の奥底に眠る悪魔の顔を微塵も感じさせない。

「ちょっと。新年早々やめてくれない?」
「あ?」
「藤くん……いい加減にしなよ。その歳にもなっていつまでそんな事言ってんの? みっともないよ」

 藤の左隣を歩く玄が、アイドルのような可愛らしい顔を歪めながら、訝しげな視線を向けると、すかさずに藍が陽気な笑い声をあげる。

「ははは! 玄ってば相変わらず辛辣だなあ」
「藍くんだってそう思ってるくせに」
「うん。まあ、そこは否定しないけど」
「こんなのと血繋がってるとかマジで最悪。縁切りたい」

 冷めた口調で冷静な態度を見せるおませな玄であったが――それも呆気なく終焉を迎えることになる。

「それを言うなら、お前みたいな生意気のガキんちょと血繋がってるって方が最悪だろ」

 ”ガキ”という言葉を耳にした途端、玄の瞳が大きく見開く。

「っ……! だから、ガキって言うのやめろって言ってるだろ!!」
「ガキに向かってガキって言って何が悪い」
「うるさい! ガキじゃない!」
「そうやってムキになるとこがガキっつってんだ。馬鹿かお前」
「っ……む、かつく……! 俺、藤くん嫌い! マジで嫌い!」
「はいはいそりゃ大変なこったなー」
「流してんじゃねえよ変態!」
「どうした玄。顔が真っ赤になってるぞ?」
「なってない!!」

 琴線に触れられた途端、先ほどと同一人物かと疑うほどに幼い態度を見せる玄。
 一方の藤は、なんだかんだ弟が可愛くて仕方がないのであろう。
 ニヤニヤとした表情で、わざと玄を怒らせ、からかい続ける。

「はーいはい。こんなとこで喧嘩しないの」

 長男と末っ子がくだらない言い争いを開始した矢先、呆れた表情の次男が二人を止める。

「だって藤くんが!!」
「もー玄も、わかったから。外では静かにしなさい」
「ハッ、やっぱり何も変わっちゃいねえな。何年たってもガキはガキのまんま――」
「ふーじーくーん。やめて。ここ、外だから」
「いや、こいつが」
「お正月から喧嘩しないで。ここは家じゃないんだよ、外ではおとなしくしてないと。でしょ?」

 由緒正しき西園寺家の人間ともあろう者たちが、新年早々神社で騒ぎを起こしているだなんて――父親の耳に入ろうものなら、ただ事では済まされないだろう。
 藍の見事な仲裁によって、藤と玄は瞬時に口を閉じた。

「大体、なんでお前らとこんなしょーもねえ場所に来なきゃいけねえんだよ」
「なんでって……家政婦ちゃんが初詣に行きたいって言い出したんだからしょうがないじゃん」
「ああその通りだ。元を辿れば、あの女が企画した……なのに……っ、なのに何故この場に張本人が居ない!!」

「仕方ないじゃん。あいつ風邪引いて寝込んじゃったんだから」
「あんの馬鹿女が……正月早々熱出しやがって! 馬鹿は風邪ひかねえんじゃねえのかよ!」
「さあね」
「まあまあ、藤くん。家政婦ちゃんと一緒に来たかったのはわかるよー? でも、熱出してる女の子を連れ出すのはさすがにナシだと思うなあ」
「……チッ」

 そう。この初詣を企画した張本人の彼女は、昨夜から高熱を出してしまい寝込んでいる。
 赤く上気した頬と共に、瞳にうっすらと涙を携えた彼女が、初詣に共にいけないことを謝罪してきたのは今朝の話だった。

 一緒に行けないショックよりも、彼女の色っぽい姿を目の当たりにした三人が、いろいろな事情で一斉に黙り込んだのは言うまでもない。男というのは、つくづく馬鹿な生き物である。

「だったら俺らも家に居りゃよかっただろうが」
「まあ、たしかにね。でも藍くんが――」
「ああそうだ……藍、お前が『だったら三人で行こうよ』とかなんとか言い出したんだからな」
「だってその方が、家政婦ちゃんも落ち着くかなーって」
「……どういう意味?」
「あの子のことだもん。俺らが家に居たら、気を遣ってゆっくり休めないんじゃないかと思ってさ。だったら、うるさい男三人は居なくなった方が良いでしょ」

 彼女は気遣い屋で、己よりも他人を優先させるような優しい心の持ち主だ。
 藍の言葉に妙に納得してしまった藤と玄は、それ以上言い返せずに口を噤んでしまった。
 それと同時――普段はヘラヘラしていても、いざという時には細部まで配慮が行き届く次男のそつない性格に、二人は疎ましさを感じる。

「……面白くねえ。この俺が行くっつってんだから、熱なんか出してんじゃねえよ。馬鹿家政婦」
「ふふ。藤くんって本当自分のことしか考えられない人だよね。……だから俺みたいなのにすぐ出し抜かれるんだよ」
「おい、今なんて言った」

 小声で呟いた藍の本音は、しっかりと藤の地獄耳に届いていた。

「誰が出し抜かれるって? あ!?」
「あっははー! どうしたの? 俺そんなこと言ってないよ~?」
「嘘つくな、言っただろうが!」
「言ってないってばあ」

 人の良さそうな笑みを浮かべた藍が可愛らしくトボけた振りを見せると、藤はこれ以上問い詰めてもラチがあかないと感じたらしく、こみ上げる怒りを舌打ちに押し込めた。

「クソ、腹黒クズが……」
「クズっていう観点から見ると藤くんの方がレベルは上だと思うなあ」
「いや、どっちもどっちだって」

 三兄弟はいつものように互いを罵り合いながらも、参拝の列へと並ぶのであった――

* * *

 参拝の列は順調に進んでいき、やがて三兄弟たちの順番になる。
 すると直前になって、突然藤が眉間に皺を寄せ、弟二人へ視線を向けた。

「……おい。庶民共は何故あの木箱に金を投げている?」
「「は?」」

 ぽかんとした表情を浮かべる藍と玄をよそに、藤はそのまま続ける。

「どいつもこいつもあの謎の木箱に金を投げている……不可解だ」
「ふ、藤くーん? 何を言ってるのかなー?」
「まさか藤くん……お賽銭知らないの?」
「おさいせん?」

 弟二人は、まさか長男がここまで世間知らずだとは予想していなかった。
 さすがに賽銭の知識くらいは持っていると思っていたのだが――。
 賽銭箱に小銭を投げ入れる参拝客達の行為を見て、不気味だといわんばかりの表情を浮かべる藤。
 まるで異国の文化に触れたような動揺っぷりだ。

「……玄」
「わかってる」

 弟たちにしてみると、あの藤が動揺しているという事実が何よりも面白い。
 目を合わせた二人は、胡散臭い笑顔を浮かべながら藤の方を向いた。

「賽銭はね、お祈りする時にこの賽銭箱って呼ばれる木の箱に金を入れんの。ま、神様へのお供え物みたいなもんだよ」
「ほう、供え物……なるほどな。いくら出せばいいんだ」
「自分の好きな額」

 そう聞いて、何かを考え込むように黙り込んだ藤は――

「おい、そこの女! ここは、クレジットカードは使えないのか?」
「「ぶっ」」

 何を思ったのか、近くに立っていた神社の巫女へと悪びれた様子もなく声をかけた藤に、藍と玄は同時に吹き出す。
 話しかけられた巫女は唖然とした後、「何を言っているんだこの男は」とでもいうかのような表情で、藤を凝視している。

「ふっ、ふふ……!」
「っ……! くっ、はは、ふ……っ」
「あ? 何笑ってんだ、お前ら」
「わ、笑ってない笑ってない! 藤くん……ふふっ、くっ、……カード、試しに入れてみたら?」

 長男のあまりの天然ぷりに腹を抱えて呼吸困難になっている玄と、悪ノリをはじめた藍。
 藤は疑問符を浮かべながら、胸元から見るからに効果なブランド物のカードケースを取り出した。
 そこの中から一枚、限られた層の人間しか持つことの許されない真っ黒なカードを取りだすと、躊躇いもなく賽銭箱へと投げ入れる。
 後ろに並んでいたカップルが、藤の奇行に思わず「ひっ」と声をあげた。

「おい、入れたぞ。つーかこれ、どうやって支払い処理しているんだ? まさかこの木箱の中にカード通信機が入って――」
「くっ、あははははは!」
「マジでやったよ! 馬鹿じゃないの! あっはははは!」
「なっ!?」

 げらげらと一通り笑い通した藍と玄は、ようやく藤に種明かしをする。

「藤くん。そのカード、もう戻ってこないよ。残念でしたー」
「なんだと!?」
「神社でカードなんて使えるわけないでしょ。これ、現金しか入れられないから」
「っ、くそ!! てめえら騙したな!?」
「騙してないよお。俺はただ入れてみたら?って言っただけだもん」

 藤くんが悪いんだよ、と笑う藍。
 藤は、弟二人の裏切りに怒りの炎を燃やし、わなわなと身体を震わせる。
 
そして――

「おい、そこの女!! この神社を今すぐ買い取らせろ!!」 
 
 先ほどの巫女に向かって大声をあげたのであった。

* * *

「ぎゃはははは! 玄、最高! 似合ってるよ!」

珍しく大声をあげて笑う藍の声が、神社近くの道路へと響き渡る。
 その横にはぶすっとした表情を浮かべた、玄の姿があった。

「うるさい笑うな……っていうか撮るな!」
「えー、なんでよー。こんなに可愛い姿、写真におさめておかないのはもったいないでしょ!」
「なにが可愛いだよ! 面白がってるだけだろ!」
「あはは、バレたー?」
「最低だな!」

 スマホのカメラを自分たちへと向けながら、自分と玄の写真を撮りつづける藍。
 玄は噛みつくような怒声をあげる。その両頬には墨汁で書かれた落書きがあった。

「……最悪……なんで俺、こんな顔して家帰らなきゃいけないの」
「自分で招いた結果だろうが。馬鹿か」

 不服そうに呟く玄に、二人の先を歩く藤は呆れながら毒を吐く。

「そうだよ。羽子板やったことないからやってみたいって言ったの玄じゃん」

 初詣からの帰り道、羽子板で遊ぶ小さな子どもたちを見かけた三兄弟。
 目を輝かせ、「なにあれやってみたい」と食いついたのは、玄だった。
 幼少期、いわゆる世間一般の子どもたちとはかけ離れた遊びしかしてこなかったせいだろうか。
 三兄弟は、俗物的な玩具に心を惹かれることが多々あるのであった。

「負けたら顔に落書きされるとか聞いてないし!」
「だってググッたらそういう遊びだって書いてあったんだもん」
「いいじゃねえか、玄。お前らしいぞ」
「どういう意味だよ!」
「ガキっぽくて可愛いって意味だ」
「くっ………!」
「にしても藤くん、羽子板すごい上手だったねえ。やったことあったの?」
「フン。初めてに決まってんだろ。この俺様に出来ないことなんて、ねえんだよ」

 ニヤリと藤が厭らしい微笑みを見せると、玄は歯を食いしばりながら睨みつける。
 藍はそんな二人のやり取りを微笑ましく見つめていた。

「楽しかったねえ、初詣」
「ハッ、どこがだよ。あやうくカードを紛失するところだったんだぞ!」
「いいじゃん。結局神社の人に、取ってもらえたんだから」

 初体験の初詣。
 それは三兄弟各々の心に、しっかりと思い出として残る日になったのには間違いない。
 ――しかし。

「やっぱりさ、あの子も一緒がいいねえ」

 帰路をゆっくりと歩きつつ、突如藍が、ぼんやりと遠くを見つめながら呟いた。
 その表情は、ある一人の少女を思い浮かべているようにも見える。
 藍だけではなく、きっと藤と玄の頭の中にも、今頃自宅で寝込んでいるであろう彼女の顔が思い浮かんでいた。

 ほんの半年前、西園寺家にやってきた一人の少女。
 それは今や、三人にとってかけがえのない存在となっていた。

「……まあな。あの馬鹿女が居ねえと、静かで不気味だ」
「早く風邪治させて、また近いうち初詣来りゃいいじゃん」
「あ、それ賛成! 今度は、ちゃんと四人でお参りしたいしね」
「フン。しかたねーな。さっさと帰ってやるか」
「いや、藤くんがあいつに逢いたいだけでしょ」
「な、何言ってんだ。んなわけねえだろ!」
「あはは! 藤くんって、ほんっとわかりやすいよねえ!」

 三兄弟は賑やかな声をあげながら、彼女の待つ自宅へと歩みを進める。
 ――今年も、ワガママで俺様な三兄弟と苦労ばかりの家政婦の少女の奇想天外な日々が、幕をあける。

SS: 07 玄の嫉妬

「あんたって、俺を苛つかせる天才だよね」

 静まりかえった彼女の部屋の中――
 部屋の端まで追い詰め、彼女の背後にある壁に勢い良く手をつく。
 衝撃で鈍い音が響いたが、そんなことはどうだってよい。

「俺以外の男に手出されるって、どんな気持ちだった?」

 怯えた表情のまま瞳を泳がせたあと、彼女は小さく「ごめんなさい」と呟いた。
 
「何に対しての謝罪? 俺を苛つかせてること?」
「…………」
「それとも、あの二人にあっさりちょっかい出されたこと?」

 わざとらしく耳元で囁いてやると、肩を震わせ、彼女は首を横に振る。

「ちが、抵抗しなかったわけじゃ――」
「うるさいな。今俺が喋ってんの」
「…………」
「なんだよ、その顔。自分が被害者みたいな顔しちゃってさ。最高に苛々する」

 嘲笑うように言葉を吐き捨てると、彼女は悲しそうに俺の服をぎゅっと掴んだ。

「触るなよ」
「っ………」

 拒否されたことがよほどショックだったのだろうか。
 瞳にうっすらと涙を浮かべて、彼女は掴んでいた服からそっと手を離す。

「……玄さん、ちがうんです。藍さんと藤さんとは何もなくて」
「何もなくて当たり前だろ。それとも何? あんたはあの二人と何か起きた方がよかったってわけ?」
「そんなこと……!」
「なあ、あんたは誰の女だよ。俺のじゃないの?」

 発端から語ると――事件は、今日開かれた西園寺グループ主催の新年パーティーで起きた。
 名目の通り、俺たち三兄弟はパーティーへ招いたゲスト達の接待をしなければならない。
 当然、付き合いとして多少の酒を嗜む場面もあるわけで。
 未成年の俺は、兄二人にその役目を任せていたのだが――酒に弱い藤くんと、珍しく多量の酒を飲んで悪酔いした藍くんは、家に帰ってきた頃にはべろべろの状態だった。
 スーツを着崩しソファへとだらしなく座る二人を心配した彼女が、必死に水を飲ませ、世話をしてやっていた矢先――
 兄二人は、酔っているのを良いことに彼女を口説き、べたべたと身体に触り始めたのだ。
 抵抗する彼女を、二人がソファへと組み敷いたところで俺が止めに入ったからよかったのものの。あのままだったら、彼女がどうなっていたかわからない。

(こいつが俺と付き合ってるって知ってんのに、あの二人……絶対わざとだろ)

 藤くんと藍くんが彼女を気に入っていることは知っていた。
 けれど、彼女が恋人に選んだのは、あの二人ではなく俺だ。

 何一つあの二人に勝てる物がなかった俺が。
 何の取り柄もなく、あの二人の生まれ持った才能を羨ましがることしかできなかった俺が。
 
 ――ようやく、自分の手で、自分の力で、手に入れられた大切な物。

 だから今、彼女は正真正銘俺だけの物。
 あの二人が入り込む隙間なんて与えないくらいに夢中にさせているつもりだし、実際に彼女の目には俺しか映ってないこともわかってる。
 この怒りは、彼女ではなく藤くんと藍くんに向ければいいものだということも。
 それでも、だ。
 あの二人が酔いを理由に、彼女に手をだした事実が許せない。
 彼女が真っ先に俺に助けを求めなかったことも腹立たしかった。

(こんなの……ただの嫉妬だよ。でも、仕方ないだろ。あんたが俺以外に触れられるのが、許せないんだから)

 俺に詰め寄られ、言葉でも攻められ、すっかりと元気を失くした彼女。
 その表情は、後悔の念に苛まれているようにも見える。

「こっち向けよ」

 彼女の顎を強引に自分の方へと向かせると、その唇に荒っぽく口づける。

 いつもだったらもっと優しくて、蕩けるような甘いキスをしてやるけれど、心に渦巻いている嫉妬の炎がそれを許さなかった。
 乱暴に舌を絡ませながら、何度も角度を変えて彼女の口内を貪る。
 苦しくなったのだろうか、彼女が俺の肩に手をあて押し離そうとしてきたが、その手すらも掴んで壁へと縫い付けた。

「ん……、んんーっ……!」

 口づけの合間、苦しそうに声を漏らす彼女にどこか満足した俺は、ようやく唇を離してやった。
 乱れた呼吸を必死に整える彼女の目から、一筋の涙がこぼれ落ちる。

(……泣いてる……可愛い)

 こんな状況でも、彼女に心を掻き乱されている自分が悔しくて仕方ない。
 いくら強引に彼女の身体を奪ったとしても、いくら言葉で彼女を翻弄したとしても――

(結局……いつも俺のほうがあんたに振り回されてんだ)

 彼女の頬を伝う涙を指でぬぐってやる。
 乱暴なキスとはちがった優しい手つきに気付いた彼女は、濡れた瞳でそっと俺を見上げた。
 玄さん、と小さな声で彼女が俺の名を呟く。
 たった一言、名前を呼ばれただけだ。それでも、俺の身体は火を灯したようにじんわりと熱を帯びていった。
 俺の中を支配していた黒い嫉妬心が、徐々に消えていくのを感じる。

 俺は彼女の前髪を指でそっとずらすと、晒し出されたその額に小さくキスを落とした。

「……反省してんの?」

 彼女はこくりと頷いた後、ふたたび「ごめんなさい」と口にした。

(わかってるんだよ。あんたは悪くない。あの二人が勝手に手を出しただけ。これは、俺のエゴだ。……ガキでどうしようもない俺の我儘だ)

 彼女の右頬を指でつまんで引っ張ると、泣きべそをかいている彼女の顔がさらに滑稽なものになった。
 可愛らしさに笑みを零してしまえば、俺の怒りがおさまったと察したのか、彼女もやんわりと微笑んだ。

「はっ、なに笑ってんの。ほんとブサイクだね、あんた」

(嘘だよ。笑ってても、泣いてても可愛いよ。あんたは、何していても、どんな時も、可愛い)

 藤くんみたいに頭がよかったら、もっと利口な方法で愛を表現出来るのだろうか。
 藍くんみたいに優しかったら、彼女を傷つけない言葉で愛を伝えられるのだろうか。

(俺はあの二人じゃないから、こんな風にしかあんたを囲っておけない。口から出てくるのは、いつも本心とは裏腹な言葉だ)

「おいブサイク。俺が止めなかったら、本当に危ないことになってたってわかってんの。あの二人に襲われてたかもしれないんだからな」
「そ、それは絶対にありえないです……!」
「はっ、なんで言い切れんだよ」
「……だって、私は」

 ――玄さんだけのものだから。
 
 俺の一番好きな笑顔で、俺が欲しかった言葉をあっさりと口にする彼女。

(こいつ……ずるいんだよ)

 本当は最初からすべてを見透かした上で、俺を操っているのではないかと疑うほどに。

「……なんかむかつく。やっぱり、お仕置き」
「え? どうしてですか……!?」
「うるさい。あんたが……あんたが、ずるい女だからだよ。バーカ」

 彼女が反論する前に、俺はその唇に吸い付くように、深く口づけた。 
 嫉妬の炎はすっかりと鎮火していたが――俺の心に存在する欲情にも似た焦熱は、まだまだ収まることを知らないようだ。