「椿の堕ちる日 第五幕 ― 縋恋 ― 小蝉編」
発売記念ショートストーリー

「あーあ、もう。なんで僕がわざわざ卵なんか買いに行かなきゃいけないのさ」



 愚痴をこぼしながら、いそいそと履物を用意しているのは奇術団・明星座の浮遊絵師、小蝉だ。
 小蝉のまわりには誰もいない。
 完全にひとりごとでしかない。
 しかし小蝉は気にせず、ぶつぶつとひとりごとを続ける。

「だいたい、べつに僕はあんな死にたがりがどうなろうと興味ないんだよ? ただちょっとあまりにも哀れだから病気によさそうな玉子粥でも食べさせてあげようかと思っただけなのに、狐毒ってば『それなら小蝉が自分で準備から調理までするのがいいですよ』だなんて、よくそんな迷惑なこと考えつくよね。しかも『そうすれば彼女も喜びますよ』って――」


 門の取っ手をつかむ小蝉の手に力がこもる。

「――馬鹿じゃないの!? 僕があいつを喜ばせたいわけないでしょ!
僕が卵を買いに行くのはあくまでも狐毒に言われたからであって、あんな死にたがりのためじゃないんだからね――っ」


 誰にともなく言い訳してから、小蝉は門を開けようとする。
 けれど、小蝉が門を開けるより早く。
 外側から門が開けられ、落ち着いた声がかけられた。

「やあ、ずいぶんと元気そうだね」

「な……!」


 堂々と入ってきた男を見て、小蝉は一瞬絶句する。

 高級な仕立ての洋装に身を包んだ紳士風の男。
 けれどその眼光は鋭く、纏う空気は尋常ではない。
 あきらかに怪しい男だ。
 小蝉は彼のことを知っていた。
 ハクライサーカスの団長、元親。
 明星座と対立関係にある男だ。
 裏稼業も多いと噂の元親に、小蝉は自然と身構える。

「なんであんたが明星座にいるのさ……!」


 にらみつける小蝉に対し、男――元親はわざとらしく肩をすくめてみせた。

「いや、なに。外遊から帰ったので同業者である夕蛾に挨拶をしようと思ってね。とりついでくれないかね?」


 にこにこと、元親はうさんくさい笑みを浮かべる。
 小蝉が「冗談でしょ」と鼻で笑いかえした。

「夕蛾さんを目の敵にしてるあんたを、僕が素直に明星座に入れると思う?」

「ふむ、ちゃんと土産も用意しているのだが」

「あんたの土産なんて夕蛾さんには必要ないよ。叩き出されたくなかったら早く出て行ってよね。今なら警察に届けずにいてあげてもいいけど?」

「……やれやれ、なかなか冷たい反応だな」


(ふん、当然でしょ)


 苦笑する元親を見ながら小蝉は思う。
 なにせ元親はこれまで明星座にたくさんの営業妨害をしてきている。
 それらの理由のほとんどは夕蛾へのいやがらせだというのだから、小蝉としてはなおさら許せない。
 なにせ、夕蛾は小蝉にとって恩人なのだから。

(夕蛾さんの敵は僕の敵に決まってる!)


 敵意をむきだしに小蝉は元親をねめつける。
 元親が諦めたように息を吐いた。
 いい気味だ。
 ところが元親は気にした様子もなく「ところで」と話を振ってきた。

「夕蛾が“椿病の娘”を拾って貴様に世話をさせているそうだな?」


「……なんで知ってるのさ」

 少女の話題に、小蝉が眉を寄せた。
 そんな小蝉の態度を面白がるように元親は「大事な商売敵のことを調べるのは当然だよ」と答え、続けて尋ねる。

「それで、どうなのかね? あの夕蛾が拾うくらいだ。よほど面白い娘なのだろう」

「……別に。ふつうだよ」

「ほう?」

 すこし驚いた顔をした元親に小蝉は言う。

「そりゃ暴漢に襲われてた夕蛾さんを庇ったのはすごいけど、死んでも構わないっていう投げやりな理由だったみたいだし。そんなやつ、ただの迷惑な死にたがりでしょ。あんな死にたがりを拾って明星座で面倒を見るなんて、夕蛾さんがお人よしすぎるんだよ。まぁそこが夕蛾さんの尊敬できるところだから僕がどうこう言うところじゃないけどさ」

「ふむ」

 小蝉の愚痴めいた説明に元親がうなずく。

「たしかに夕蛾は情に脆いところがあるな」

「でしょ? ほんと、夕蛾さんの優しさにつけこむなんて、ろくでもない死にたがりだよ」

「なるほど」

 小蝉の言葉を聞いて、元親は噂の少女はたいしたことのない存在らしい、と結論づけようとする。
 が、その前に、「まぁ……」と小蝉が続けた。

「……たしかにあいつは度胸があるし、誰の話でも真面目に聞くし、どんなことにも一所懸命だし、頑張ってるところは尊敬できるし、僕の絵を見てすごいすごいって喜んでくれたところとかは可愛くなくはないかもね――!」


 ふん! と顔を赤くして小蝉は言い切る。
 とたん。

「………………」


 元親が何とも言えない微妙な表情を浮かべていた。

(……あれ?)


 元親の表情を見て、小蝉は内心で首をひねる。
 余裕の笑みを浮かべていない元親を初めて見た気がしたのだが、理由が分からない。

(僕、なにか変なこと言ったかな。そんなわけないよね。あいつを罵倒しただけだし)


 うんうん、いつも通りだ、と、小蝉は自分で確認する。
 元親が溜息まじりに問いかけてきた。

「つまり貴様はずいぶんとその娘を気に入っているのだな」

「はあ!?」


 突然の発言に小蝉は思わず大声をあげてしまう。

「ば、馬鹿じゃないの、そんなわけないでしょ!」


(僕があいつを気に入ってるとか、ありえないし! あんな死にたがりっ)


 ありえるわけがない。
 なにせ小蝉は命を粗末にするやつが大嫌いなのだ。

(死にたがりなんて、その筆頭でしょ!?
 いくらあいつがちょっといいやつだったからって、好きとか、そんなのありえない!!)


 心のなかで大絶叫だ。

(ほんと、なに言いだすのさ、この男は!)


 あまりのことに驚きすぎて、小蝉の動悸がどくどくと激しい。
 顔だって真っ赤になってしまっている気がする。

「僕があいつを好きとか、そんなの絶対にありえないんだからねっ?」

「……………………そうか」


 宣言すると、元親がなぜか哀れなものを見るようなまなざしになった。
 なんとなく不愉快な目線に、小蝉は眉をひそめる。

「ちょっと、何が言いたいのさ」

 問い詰めると、元親が「いや……」と、言葉をにごした。
 やがて、わざとらしい空咳をして小蝉を見る。

「まぁ貴様と小娘の関係など私は興味ないよ。夕蛾が執心しているなら兎も角、そうでもないようだしね。なにより――」

 元親が一旦、言葉を切った。

「……なに?」

 怪訝な顔をした小蝉に、薄い笑いを向けてくる。


「――――その娘は、どうせもうすぐ死ぬのだろう?  なにせ、椿病に罹っているのだから――――」



「……!」

 
 元親に言われ、小蝉は息をのむ。
 知らずのうちに、こぶしを握った。

(それは――……)


 ――それは、事実だ。
 夕蛾から預かった少女は不治の病・椿病に罹っている。
 春までに死ぬ運命だ。

 だから、彼女がどんな人間でもどうでもいい。

(それは、そうなのかもしれない)


 だけど。


「――……そんなの、わからない」



 気付けば、小蝉はそう呟いていた。
 元親が「ほう?」と笑うのが見える。
 元親が小蝉を馬鹿にしているのは明らかだ。
 だけど、言葉を撤回する気にはなれなかった。

 こぶしを強く握りしめ、小蝉は元親をにらみつける。


「椿病が絶対に治らないとか誰が決めたわけ? そんなの分からないでしょ――――!」



 怒鳴りつけ、小蝉は元親をつきとばして走り出す。

(そうだ、やってみなきゃ分かんない!)


 自分で自分に言い聞かせる。

(たしかに夕蛾さんは春までにあいつが死ぬって言ったけど、そんなの分からないじゃないか……っ)


 無謀かもしれない。
 愚かなのかもしれない。
 だけど、挑戦せずに諦めるなんて小蝉にはできない。

(あいつは死んだりしない。死なせたりするもんか……!)


 胸に湧き上がる想いは、祈りなのか願いなのか、それとも誓いなのか。
 分からないまま、小蝉は後ろを振り返らずに駆けて行った。


◆◆◆

「……ふむ。アレは夕蛾のことしか興味がないと思っていたが、まさか恋をするとはな」


 明星座の門前に残された元親は一人ごちる。
 ついさきほど見せた小蝉の様子は、あきらかに恋している少年のものだ。
 初々しい、とも、愚かしい、とも元親は思うけれど、基本的には興味がない。
 他人の恋愛で遊ぶのはやりつくしてしまった。
 ましてやもうすぐ死ぬ娘など、元親にとっては何の価値もないのだ。

 とはいえ、と、彼は思う。

「夕蛾に心酔していたアレが認めるほどなら、見てみても良かったかもしれんな……」


 もし、元親が外遊を早めに切り上げて帰国していたなら。
 もし、夕蛾が拾ったという椿病の娘を攫っていたなら。
 そうしたら、どうなっていたか――。

「――いや、仮定など無意味か」


 考えて、元親は首を横に振る。
 元親は欧米に行っていたし、椿病の娘は明星座で死んでいこうとしている。
 現実は変わらないし、元親はあえて動く気もない。
 ただ、軽い好奇心で椿病の少女と彼女に恋した少年の行く末を見届けるのも悪くないだろう。

「さてはて、明星座の浮遊絵師はどうする気かな――」


 元親は門から離れ、駆け去っていった少年の後ろ姿を眺める。
 物語の幕が、上がろうとしていた。




~FIN~