「椿の堕ちる日 第四幕 ― 蜜愛 ― 餓蛇編」
発売記念ショートストーリー

「ねぇ、餓蛇。買い物ってこれで終わり?」


 びゅうびゅうと寒風が吹きすさぶ市場のなか。
 見目好い少年が、となりを歩く長身の青年に問いかける。
 餓蛇と呼びかけられた青年は「ああ」とうなずき、手にした荷物を確認した。

「狐毒に頼まれてたのは、えーと……卵、大根、人参、砂糖、醤油、米――と。よし、ぜんぶ揃ってるぜ。それより――」


 言いながら、餓蛇は少年を見て顔をしかめる。

「小蝉、お前ちょっとは手伝おうと思わないのかよ! 重い物ばっかり俺に持たせて、お前は新聞だけとかずるいだろっ」


 食って掛かろうとすると、少年――小蝉が大げさに後ずさった。

「あ、ちょっとやめてよね! 夕蛾さんの新聞を運ぶのは僕の役目なんだから」

「お前が夕蛾さんを尊敬してるのは分かってるけど、それとこれとは別問題じゃないか」


 餓蛇が小蝉をにらみつける。
 しかし小蝉はふふんとばかりに鼻で笑った。

「え~、やだなぁ、餓蛇ってば嫉妬? 男の嫉妬は醜いよ。 だいたい、餓蛇みたいに栄養が全部頭じゃなく筋肉にまわってそうな人間は体力余ってるでしょ? 重い荷物を運ぶくらい当然じゃないの」

「な……お前なぁ!」


 少年――小蝉の態度に餓蛇は言葉をうしなう。
 やがて、大きく息を吐きだした。

(まったく、本当に口の減らないガキだよな……)


 呆れた気分で、餓蛇は思う。
 こんなことを小蝉本人に言えば、きっと十倍になって返ってくるだろうから言えないけれど、心からの感想だ。
 小蝉と知り合い、奇術団・明星座で共に働くようになってから数年。
 餓蛇は、小蝉の口の悪さを熟知していた。

(まぁガキらしいかわいいもんだから許してやるけどよ)


 さすがに十歳も年下の少年相手に本気で怒ろうとは餓蛇も思わない。
 たとえ、周りの人間に餓蛇と小蝉が同レベルと思われていても、だ。

 大人としての面目を保つため、餓蛇は苦い顔になりながらも沈黙する。
 そんな餓蛇の心など知らず、小蝉は指を折ってひとりごちた。

「夕蛾さんが新聞で狐毒が食料品、僕が絵の具の買い足し、餓蛇は猛獣たちのエサ用肉か。――ってことは、今回も行長は何も要らないんだね。僕の知ってる限り、あのひとが何かを買ってるところ見たことないんだけど。なにか理由があってお金貯めてるのかな」

「…………」


 小蝉のひとりごとを餓蛇は無言で聞き流す。
 ちらり、と、小蝉が餓蛇を見上げた。

「ねぇ、餓蛇はなにか知ってる?」


 たずねられ、餓蛇は素直に「いや」と答える。

「俺も知らないんだ。でもたしかに、行長は何も買おうとしないよな。なんか隠し事はしてると思うが、俺にも話してくれたことはない。……元親さんなら、知ってたかもな」

「……ふぅん」

 餓蛇と行長のかつての主・元親の名に小蝉はわずかに眉を寄せた。

「ま、僕は行長がどうなろうと関係ないけど!」


 つん、と顔をそむけるようにして言う小蝉に、餓蛇は苦笑する。
 こういうときの小蝉が本音を言っていないことは経験で知っているのだ。

「おいおい、素直じゃないな。ほんとは寂しいんだろ?」


餓蛇がからかうようにして問いかける。
とたん、小蝉が「はあ?」と綺麗な顔をゆがませた。

「馬鹿じゃないの。僕が寂しいわけないでしょ。僕が大事なのは夕蛾さんだけなんだから」

「でも、さっき画材屋に寄るふりして薬屋で軟膏買ってたよな」

「――へっ!?」


 餓蛇の指摘に、小蝉が目をまるくする。
「なんで知って……」と小蝉が言うよりも早く、餓蛇は言葉を続けた。

「それ、怪我してる狐毒のために買ったんだろ?」

「な、ななっ」

「夕蛾さん以外の仲間のことも、ちゃんと大事にしてるように見えるけどなー」

「…………っ!!!」


 にやにやと笑って言えば、小蝉の顔が見る間に赤くなっていく。
「ば、馬鹿じゃないの!? 僕はちょっとあまりに哀れだったから気まぐれを起こしただけで、狐毒やお前たちが夕蛾さんの次くらいには大事だって思ってるとか、そんなの餓蛇の思い上がりなんだからねっ?」という小蝉の言い訳を、餓蛇は笑いながら聞き流す。
 本当に小蝉は素直じゃないのだ。
「そっかそっか」と笑う餓蛇に、小蝉はいっそう真っ赤になってわめく。

 市場の老女が声をかけてきたのは、そんなときだった。

「お兄さん、今日はいつもの花、いいのかい?」

「!」


 声をかけられ、餓蛇が立ち止まる。
 老女は市場の花売りだった。

 必死で言い訳をしていた小蝉が「花? どういうこと?」と餓蛇と花売りを交互に見る。
 好奇心でいっぱいの小蝉を落ち着かせるように「たいしたことじゃない」と言い、餓蛇は花売りに「今日はいいんだ」と首を横に振りかけた。
 が。

(――いや、待てよ)


 ふと、餓蛇は老女の用意した花に目をやる。
 白、紫、薄紅、橙、黄……。
 さまざまな色の花たちが粗末な木桶に入れられている。

 花々に目をやり突然言葉を止めた餓蛇に、小蝉は何かを感じ取ったのだろう。
 不審なものを見る目でもう一度「どうしたのさ」と問いかけられる。
 問われ、餓蛇はかるく肩をすくめた。

「いや、さっきの会話で行長のことを思い出したんだよ。
 たしかあいつ、やたらと今年の桜がいつ咲くのか気にしてたから、もし早咲きの桜を売ってたら買っていってやろうと思って」


 餓蛇の昔なじみである行長は物欲というものを感じない。さきほど小蝉が言っていた通りだ。
 けれど、そんな行長がめずらしく今年の桜にだけは妙に固執していたのだ。

(だから、たまにはと思ったんだけど――)


「あいにく、まだ早かったみたいだな」


 餓蛇はそう言って苦笑する。
 老女の用意した花々のなかに、桜は入っていなかった。
「桜の時期にはちょっと早いねぇ」と老女が笑う。
 たしかに、まだ真冬なのだ。桜が咲くのはもう少し先だろう。

(ま、ないならないでしょうがないよな)


「だ、だったら僕が――」と小蝉が何か言うより早く、餓蛇は心を決めて「かわりにそっちの黄色い花、くれよ」と老女に頼む。
 小蝉が渋い顔をした。

「えっ、ちょっと、結局買うの?」

「桜じゃないけど、まぁいいだろ。たまには花くらい贈ってやっても」

「そりゃべつに悪くはないけどさぁ……」


 小蝉はなにか言いたげだが、餓蛇にはまったく見当もつかない。
 それより、自分の口にした“たまには花くらい”という言葉で、ふと思いついたことがあった。


「――……小蝉、お前、お嬢ちゃんの好きな花って知ってるか?」



「は!?」


 餓蛇に聞かれ、小蝉がぽかんと口を開けた。
 やがて、「え、ちょっと待ってよ」と大きな声を出す。

「それって、まさかあの死にたがりのこと!? 餓蛇ってばあんなやつに花をあげるつもりなわけ!?」


 小蝉の言葉に、今度は餓蛇が渋い顔をする。

「……小蝉、お嬢ちゃんに対してその言い方はないだろ」


 なんだか異常に、苛立ったのだ。
“彼女”のことを、仲間に悪く言われて。

 けれど小蝉は餓蛇が不快になったことなど全く気付かない。
 それどころか「なに言ってんの!」と猛抗議をしてくる。

「だってあいつ、死にたがりだよ!? べつに死んでも構わないとか言ったんでしょ!? 命をないがしろにするような馬鹿なんだよ!」


 小蝉に言われ、餓蛇はあからさまに眉間に皺を寄せた。

「それは夕蛾さんを暴漢から助けたときのことだろ。……俺はむしろ、命の危険を冒してでも夕蛾さんを庇おうとしたお嬢ちゃんの強さを恰好いいと思うけどな」


 硬い口調で反論する。
 と、小蝉が更に目を剥いた。

「恰好いい!? 餓蛇ってば目が悪いんじゃない! あんなの、ただの死にたがりの小娘でしょ」


「俺はそうは思わない。お嬢ちゃんはたしかにちょっと危ういところはあると思うけど、それ以上に芯の強い子だと思うぜ。でなきゃ暴漢に立ち向かおうなんて思わないはずだ」


「それは……そうかもしれないけど……」


 餓蛇の言葉に小蝉が目をそらす。
 ここだ、とばかりに、餓蛇がさらにまくしたてた。

「お嬢ちゃんの態度は真面目で好感が持てるし、どんなときでも、誰が相手でも誠実に対応しようとする姿には感心させられる」


「……そうなの?」


 疑わしそうに見られ、餓蛇は「ああ」と力強くうなずく。

「時々、どういう環境で育ってきたのか不思議に思うほど常識知らずなところもあるけど、それは俺が教えてやればいいことだしな。そもそも、どんなお嬢ちゃんでも俺はかわいらしいと思うし」


「……ん?」


 小蝉がわずかに首を傾げた。
 が、餓蛇はそれどころではない。

 普段から“彼女”にたいして冷たい小蝉に、彼女の良さを教えるのに必死なのだ。

 心の底から真剣に、餓蛇は小蝉に語り掛ける。

「小蝉、お前はお嬢ちゃんに対して思うところがあるみたいだけど、それはきっと誤解だ。
話してみれば、きっとその良さに気付くはずだ。
お嬢ちゃんは、あんなにかわいいんだから……!」


「…………んん?」


 小蝉が、さらに首を傾げた。
 けれど餓蛇は止まらない。
 心のままに、言葉を続ける。


「がんばってるときは励ましてやりたくなるし、
嬉しそうなときは“良かったな”って頭を撫でてやりたくなる。
かなしそうなときは慰めてやりたいし、
泣くのを我慢してるときは、好きなだけ泣かせてやりたいって思う。

……そんで、笑う顔を見たときには、俺のほうが幸せな気持ちになる」



 言いながら、餓蛇の顔に笑みが浮かぶ。

(そうだよな、お嬢ちゃんの嬉しそうな顔を見てると、俺まで嬉しくなるんだ)


 心の奥に明かりが灯るように温かくなるのだ。
 ずっと、ずっと、彼女を見ていたいと思うほどに。

 ――幸せで、満たされた心地になる。


「はあ……?」と口を開けたままの小蝉に気付かず、餓蛇はさらに言いつのった。


「守ってやりたいって強く思うときもあれば、すごいなぁって見惚れるときもある。
目が離せなくて、気付いたら釘づけになってる。

いっしょにいるのが楽しくて、おもしろくて。
もっとずっとそばにいたいって思うようになる。

――――お嬢ちゃんは、特別なんだ」



(こんなふうに思う相手がいるなんてな)


 まるで奇跡みたいだ。
 そう、餓蛇は本気で思っている。

“彼女”のすべてが奇跡みたいだ、と。

(だから――)


 ぐっと買い物袋を握り、餓蛇は小蝉に向きなおって言った。
「小蝉、お前にもお嬢ちゃんの良さを分かってもらいたいんだよ!!」――と。

 けれど。


「…………………………は?」



(あれっ?)


 餓蛇を待っていたのは、小蝉の冷ややかな視線だった。
 餓蛇としては彼女の良いところを必死で伝えたつもりなのだが、駄目だったのだろうか。
 そう心配したとき。

 小蝉が、深い溜息とともに告げた。


「なんで僕が餓蛇の惚気を聞かされなきゃいけないわけ?」



「へ!?」


 小蝉の質問に面食らったのは餓蛇だ。

「の、惚気!? なんのことだよ、おい!」

「だって惚気でしょ? それ以外でも何だって言うのさ」

「いやだから」

「ほんと、うっとうしいんだよね。好きな相手の好きなところをうだうだうだうだ延々聞かされるとか、ありえないんだけど」

「な、好きって、俺はそんなつもりじゃ――」


 餓蛇はあわてて否定しようとする。
 しかし、小蝉に聞く気は全くないらしい。
 すたすたと市場を歩きはじめる。
 重い荷物を持つ餓蛇には追い付けないほどの速度で。

「ちょっと待て、こら、小蝉っ」


 追いかけようとすると、小蝉はくだらなそうな眼差しを向けた。
「馬鹿じゃないの?」と繰り返す。


「なにもかもがかわいいなんて、好きな証拠でしょ――」



「!」


 小蝉の言葉に、餓蛇は肩を揺らす。
 おもわず足が止まった。
 そのすきに、小蝉はひとりで駆けていってしまう。


「おい……」



 手を伸ばそうとしても、もう小蝉の姿は見当たらない。
 残されたのは、大きな荷物を抱えた餓蛇と花売りの老女だけだ。
 餓蛇はひとり、つぶやく。

「そりゃ、お嬢ちゃんのことは好きだけど……」


 だけど、小蝉の言うような意味ではないはずだ。
 きっと。

(……たぶん)


 自分に言い聞かせるようにして、餓蛇は思う。

「それで、結局どうするんだい?」と老女が問いかける。

 その言葉に、餓蛇はもう一度並べられた花に目を向けた。
 
 いちばん美しいのは、深紅の椿。
 それに間違いない。

(でも――……)


 わずかに喉を上下させ、餓蛇は心を決める。
 老女にちいさく微笑んだ。

「その、端にある黄色い花をくれ。それと……やっぱり、白い花も」


 黄色い花は行長のため。
 そして、白い花はいつものところに持っていくため。

(――お嬢ちゃんには、椿は似合わない)


 なんとなく、餓蛇はそう思う。

 清楚にも妖艶にも見える美しい花。
 それは、もしかしたら少女にひどくよく似合うのかもしれないけれど。

 すくなくとも自分は、彼女に渡したいとは思わない。
 それよりも――。


(……お嬢ちゃんには、こんど芋でも買って帰るか)


 そう、思い直す。


 花を贈るなんて、自分と彼女には似合わない。


(でかい芋でも買っていって、そんでお嬢ちゃんと一緒に食べよう)


 明星座の庭で焼き芋をするのもいいかもしれない。
 きっと暖かくて楽しいだろう。
 芋もおいしいに違いない。

 だって、彼女と一緒に食べるのだから。


(――――はやく、帰るとするか)



 小蝉に言われたことは考えないと決め、餓蛇は足早に歩きはじめる。
“彼女”のことを思うだけで、自分の表情が柔らかくなっているとは気付かなかった。


◆◆◆

 いっぽう、餓蛇を置いて走り出した小蝉はというと。

「餓蛇ってばほんと、馬鹿じゃないの!? 馬鹿だよね、馬鹿に決まってる!」



 ぶつぶつと餓蛇を罵りながら町中を歩いていた。
 だいたい、と小蝉は思う。

(行長に桜を見せたかったなら、僕に頼めばよかったのに)


 小蝉の特技は“描いた絵を立体にすること”だ。
 すこしのあいだしか保たない幻だが、行長に桜を見せることくらいはできた。
 なのに頼もうとしないなんて、とんだ冒涜だ。
 けっして小蝉が寂しがっているわけではない。

(そのうえ、あんな死にたがりを好きになるなんて)


 小蝉は“彼女”が嫌いだ。
 とってもとっても、大嫌いだ。

(だってあんな死にたがり、見てるだけで腹が立ってくる)


 それなのに『話してみれば、きっとその良さに気付くはずだ』なんて、馬鹿げているにもほどがある。

(餓蛇と一緒にしないでよね。僕があんな死にたがりにほだされるわけないでしょ!)


 むかむかしながら、地面を蹴る。
 小蝉は餓蛇のようなお人よしの世話焼きではないのだ。

(僕だったら餓蛇みたいになんかならない)


 心のなかで、断言する。

 なにがあっても、どんなことがあっても。


(絶対、あんな死にたがりを好きになったりしないんだからね――――!)





~FIN~