「椿の堕ちる日 第二幕 ― 縛愛 ― 行長編」
発売記念ショートストーリー
(ずいぶん寒くなったな――)
(……冬、か)
(ハクライサーカスに居た頃は、こんな未来が来るなんて予想していなかったな)
「――行長さん、台所に居るなんて珍しいですね。何しているんですか?」
「!」
「狐毒くん」
「さっきから何度も呼びかけたんですよ? だけど、何か考えて居らっしゃるようだから」
「何度も、かい?……ごめんね、気付かなかった」
「そうみたいですね」
「さっきから何を真剣に考えていたんですか? それと、台所にどんな用が?」
「ああ、それは……」
「最近、夜はずいぶん冷えるようになったから温かいものでも作ろうかと思ったんだ。できれば栄養があって、なおかつ食べやすいようなものを」
「温かくて栄養があって食べやすいもの……? それが食べたくなったんですか?」
「ああ、ちがうよ、僕が食べるんじゃない」
「これは――――あの子の、ために」
(そう、あの子のためだ)
(……明星座に来て、良かった)
「なんだか行長さん、最近変わりましたね」
「え?」
「変わった? 僕が?」
問いかければ、「はい!」と、やはり笑顔で返される。「以前は無表情だし感情の起伏に乏しいし、見た目が綺麗なこともあって本当にお人形みたいな人だなって思ってたんですよね」
「……言いたいこと言うね。まぁ、否定しないけど」
若干呆れた目で言うが、狐毒が気にした風情はない。「――最近は、行長さんが何だか人間らしくなってきた感じがします」
「……は?」
「それまで必要最低限のことしかしなかったのに、彼女の世話をするって決めた日には夜遅くまで念入りにお風呂場の掃除をしてましたよね?
あと他人、ましてや女の子になんか全く興味無かったはずなのに、餓蛇さんに女の子が喜ぶこととか嫌がることを聞くようになりましたし。
ときどき街に出ると彼女に似合いそうな着物をぼーっと見てたりしていますし、この間なんか行長さんと彼女の部屋から笑い声が――」
「――ま、待って! 狐毒くん、それ僕の話!?」
「あ、ほらほら、その赤くなって焦った顔。そんな表情を僕の前でするのも初めてですし」
「それは、その」
「以前は餓蛇さんと遊んでるときくらいでしたよね」
「いや、餓蛇くんとは昔なじみだし……」
「ましてや笑ってる行長さんとか想像できなかったんですけど、彼女から“行長さんは子供みたいに笑う”って聞いて驚いたんですよね」
「!」
「やっぱり、彼女が来てから行長さんって浮かれてますよね――――!」
「…………!!」
(なんてことだ――……!)
(……こんなふうに周りに気付かれていたなんて……!)
「楽しそうですよねぇ。いいなぁ」
「…………」
「でも――」
「……なに?」
「きっと、行長さんの子供っぽいところは俺には見れないんでしょうね」
「……狐毒くん?」
「俺は、誰の特別にもなれないから」
「…………」
「……キミにも、きっと見つかるよ」
「え?」
(こんなこと言うつもりなかったのに)
「僕だって自分がこんな風に変わるなんて想像していなかった。
他人にも自分にもたいして興味無かったし、それでいいと思ってた。
それが正しいんだと思ってた。
だけど」
「――――運命に、出会う日があるんだ」
「運命、ですか?」
「あのね、あの子に出会うと僕はいつも心を揺さぶられるんだ。
あの子に出会って僕は初めて綺麗だって気持ちを知った。
いつも、いつでも――……
……あの子だけが、僕の特別」
「行長さん――」
熱をこめて語る行長の姿に、狐毒が目を見開く。「見守っているだけで満足で、
誰よりも幸せになってほしくて、
一緒にいられるとやっぱりもっと嬉しくて。
あの子のためなら僕は何だってする。
あの子が笑ってくれるなら、それだけでいい。
命なんて惜しくはないんだ」
(そう、少しも惜しくなんかない)
「どうしてそこまで思えるんです? つい最近、出会ったばかりの彼女のことを」
「…………」
「それは、秘密」
「!」
美しい行長の笑み。(これは僕のあの子だけの秘密。誰にも言わない、教えない)
(僕たちだけの、秘密だ)
(だって、僕たちだけが繋がっている絆があるんだから――――)