「椿の堕ちる日 第一幕 ― 秘恋 ― 夕蛾編」
発売記念ショートストーリー
「あのー、餓蛇さん、行長さん、掃除の邪魔なんですけど……?」
掃除道具を持っててきぱきと動くのは手品師の狐毒。「なぁ行長。お前もそう思うだろう?」
餓蛇に問われ、となりに座る踊り子・行長はこくりとうなずく。「……うん。寒い。うごきたくない」
「だよなぁ」
「ね」
二人は嬉しそうに頷きあい、ぬくぬくとこたつで丸くなる。「いい年をした男二人で並んで狭くないんですか? すくなくとも俺は見ていて気持ち悪いです」
「な――……!」
「!!」
きっぱりと告げられた暴言に餓蛇と行長が絶句する。「俺は素直に思ったことを言っただけなんですけど」
「余計悪い!!」
おもわず餓蛇が声をあげる。「狐毒くんって悪気なく悪態つくよね……」
行長のつぶやきに餓蛇は「まったくだぜ」と口を曲げる。「そういうこと言う悪いやつは――――こたつの刑だ!!」
「はい!?」
わけの分からない刑の名に狐毒が目を丸くする。「えっ、あの、ちょ、お二人とも、なにするんですか!」
あわてて叫ぶ狐毒に、餓蛇と行長が笑顔で仲良く回答した。「――狐毒をこたつに引き入れる」
「――狐毒くんをこたつに引き入れる」
「やめてくださいよ、俺は掃除中なんですよ!?」
じたばたと狐毒が四肢をばたつかせるが、行長も餓蛇もやめようとしない。「まぁまぁ、狐毒くんも一度こたつの魔力に囚われようよ」
「そうだぜ、狐毒! たまにはこういうのもいいだろう?」
行長はめったに見せない微笑を見せ。「いえ、でも、あの――」
「まぁまぁ」
「そうそう」
まじめな狐毒を悪の道へと誘いこもうとした、そのとき。「――――なにやってンだ? お前ら」
「「「夕蛾さん!」」」
「ねぇねぇ夕蛾さん、昼間っから遊んでる馬鹿たちは無視してやっぱり買い物は僕たちだけで行きましょうよぉ」
「……たしかに、そのほうがいいかも知れねェな……」
いい年をした男たちが、こたつの周りで何を暴れていたのか。「下手に大人数で行くより“あいつ”も気を遣わねェだろうしな――――」
「俺と小蝉とあいつの三人で行くか」と夕蛾が口に出すより前に。
「「「!」」」
「俺は餓蛇さんと行長さんに邪魔されていただけです!
夕蛾さん、彼女と買い物なんですか? なんですよね?
小蝉くんだけじゃ心配です、俺もご一緒させてください!
いえ、小蝉くんが名前の通り小さくて弱そうだからという意味ではなく」
「あの子が行くなら、僕も行く。当然のことだよ。
言っておくけど置いて行ったりしたら許さないから。
たとえ夕蛾さんでもね」
「夕蛾さん、用事なら言ってくれていいんだぜ?
あんたに言われたら俺はなんだってするさ。
なにせ恩人だからな。
ましてや――
――……お嬢ちゃんのためなら、喜んで」
「ちょっと!!! そういうの要らないんだけど!?」
「行長も餓蛇も、さっきまでゴロゴロしてたくせに何なわけ?
ずっとゴロゴロしてればいいのに、あいつと一緒に行くって分かったとたん急に態度を変えるなんてズルくない!? ずるいよ!」
「……俺たちズルいのか? 行長」
「……さぁ」
小蝉の大きな目で睨み付けられ、餓蛇と行長は小声でささやきあう。「――もしかして、嫉妬ですか?」
「は、はあ!?」
狐毒の言葉で、小蝉の頬に朱が走る。「つまり、小蝉くんは彼女を独占したかったんですね」
「な――――」
小蝉の顔が、一瞬で赤く染まった。「ばばば馬鹿じゃないの!? 僕はあいつも夕蛾さんも独占できるなんて浮かれてたわけじゃないし! だいたい、あいつのことなんか興味もないしっ」
「おいおい、あからさまだな……」
「ほぼ本心だよね?」
「やっぱりそうですよね」
真っ赤な顔でまくしたてる小蝉に、餓蛇と行長と狐毒がうなずきあう。「はあ!? なんなのさ、分かったような顔して!」
「いや、たぶん全員分かったぜ?」
「うん。分かる」
「そうですよ。そもそも小蝉はどうして彼女への想いを隠そうとするんですか? どうせ隠せてないんですし無駄だと思うんですが……」
「ななななな」
「狐毒、やめてやれよ……」
「狐毒くんらしいよね。残酷」
「えっ、小蝉に本当のことを忠告してあげているだけですよ???」
「うわぁぁぁぁぁああああ」
「小蝉……がんばれよ……」
「人間ってこんなに朱くなるんだね」
「――――ふっ」
「夕蛾さん?」
「な、ゆ、夕蛾さんまで笑わないでよ!」
「どうしたんだよ、夕蛾さん」
「なにがおかしいの?」
「いや、だって、なァ」
餓蛇と行長に問われ、夕蛾が苦笑をかえした。「……いつのまにか、あいつがこんなにもお前たちに好かれてるとはな」
「「「「!」」」」
「路地裏で拾ったあいつを明星座に連れてきたときはどうなることかと思ったが……さすが俺の座員たちだ。お前らがあいつを受け入れてくれて良かったよ」
言いながら、夕蛾は出会ったころの少女を思い出す。「たしかにあいつは魅力的だからな。お前らの気持ちも分かる」
「ほう、それは貴様も“あれ”に惹かれているということかね?」
「ああ、そうだな。だから――――、――――って、おい!?」
「――――元親どの!? なんであんたがウチに入って会話に参加してやがるッ」
「やぁ、明星座諸君。なかなか楽しそうな会話だね――――」
「ほ、本当ですね! どうして元親さんみたいな人格非道の商売敵がうちにいるんです!?」
「元親さん、僕と餓蛇くんを呼びもどしに来たの――……!?」
「ふざけんなよ、二度とあんたのところには戻らない。行長だってそうだ」
「そもそも勝手に入ってこないでよね、この鬼畜! 常識も知らないなんて馬鹿じゃない!?」
「こんな扱いを受けるとは残念だよ」
「ちっとも残念そうじゃ無ェけどな」
眉間にしわを寄せて夕蛾が言う。「そんなことを言ってよいのかな? 私は貴様らに有益な情報を持ってきてやったのだが」
「ふん、あんたの言うことなんざ信用できねェよ。はやく――」
帰ってくれ、と夕蛾が言う前に。「どうやら“彼女”は恋愛に興味があるようだよ?」
「ちょっとそれどういうこと!? いや僕はあんな馬鹿のことなんて興味ないけどっ」
「元親さん、いまの詳しく頼むぜ。俺は本気だ」
「本当にあの子が言ったの……!?」
「はやく教えてください一言一句間違えずに!!!」
「お前ら……」
夕蛾はうめくが、止められる雰囲気ではない。「………………くそっ」
「……どういう話だったんだ。教えろ」
「ほんの戯れに、“あれ”に聞いてみたのだ。恋人が欲しくないか、と。そうしたら、欲しくないとは言わなかった。
つまり興味があるのだろう」
「ん……?」
元親の論法に夕蛾はおもわず首をかしげる。「な、なるほど!」
「そうなんですね!」
「そんなことをあの子が思ってたなんて……」
「ちっ、俺が先にお嬢ちゃんに聞けばよかったぜ」
「あいつら……」
情けなくて夕蛾はため息しか出てこない。「――では、餓蛇。たとえば貴様が“あれ”の恋人になったならば、どんな利益があると?」
「そりゃもちろん、年上の魅力ってやつさ。包容力なら自信があるぜ!
なにせ俺は女のあつかいには慣れてるからな。
……夜も、もちろん楽しませてやれるつもりだ」
「お嬢ちゃんのことは大事にしたいからな。焦る気はない。
とにかく俺はお嬢ちゃんをかわいがりたいんだ――――」
「なるほど」と元親がうなずいた。
そして「だが」と言う。
「年齢で言うなら、私の方が上だ」
「いや、そういう話じゃなくて――」
言いかける餓蛇を、元親は「つまらん」と一刀両断する。「夕蛾さんまで……!」
餓蛇が子供のようにわめくが、仕方がない。事実なのだ。「もっとおもしろいことを言いたまえ。……というわけで、行長。貴様はどうだ」
「僕?」
元親に問われ、行長は目を瞬かせる。「僕は――……」と、なぜかつらそうな微笑を浮かべた。
「……僕はあの子の恋人になりたいとは思わない。ただ今まで通り見守っているだけで幸せなんだ。だけど――」
「もしあの子の恋人になれるなら――……
そうだね、いっしょに遊んで、ふざけあって、そして――
……毎日、笑いあうんだ。
ずっと、ずっと……。
ふたりで笑顔で過ごしたい」
「……?」
何かを隠している気がして夕蛾の胸に靄のような気分が渦巻く。「…………そうか」と、元親は短くうなずいただけだった。
それがなおさら夕蛾の不安をあおるのだが、何かを言う前に元親が話題を変えるようにして狐毒を見た。
「貴様はどうかね?」
「……彼女の恋人になれたら、ですか」
同じ質問をされることはある程度予想していたらしく、狐毒はすこし困ったように微笑んだ。「僕は、つまらなくて下らない人間です。だから彼女の恋人にふさわしくない」
断言する狐毒に、夕蛾はとっさに「そんなこと無ェだろ!」と反論する。「ならば、何も言わないのか」
「……どうでしょう」
あいまいな表情で狐毒は笑う。「もしかしたら、言ってしまうかもしれません。そして止まれなくなるかもしれない。彼女を――――愛しすぎて」
「!」
言葉と裏腹に暗い声音。「俺は彼女を愛しぬきます。命を懸けて、すべてを賭けて。
彼女のすべてを捧げたいんです。
そうすることでしか、俺は愛を伝えられないから」
「狐毒――……」
あまりの痛ましさに夕蛾は眉を引き絞る。「――まぁ、そんな未来が来るとは思えませんけどね!」
「それは私の知るところではない」
朗らかなで笑う狐毒に、元親は興味なさそうに即答した。「貴様は?」
「! こ、恋人か!? あいつの!?」
「さよう」
なにを今更、と小首をかしげた元親に、小蝉が顔を赤くして「べ、べつに僕はあいつの恋人になんかなりたいと思わないけどっ」と宣言する。「えっ、ちょ、早くない!? ちょっとは食い下がってよ!」
「なぜ私がそんな面倒を?」
「そ、それは……」
冷たい目線を向けられ、小蝉の声がちいさくなる。「――もう、とにかく聞いてよ! 答えるからっ」
素直でないところは誰が相手でも変わらないようで、夕蛾は苦笑を禁じ得ない。「私も貴様に興味はないが、まぁ言ってみたまえ。聞くだけは聞いてやっても構わない」
「なんかあんたって僕に当たりきついよね? いや、いいんだけどさ。僕も夕蛾さんやあいつをいじめるあんたは嫌いだし」
それはともかく、と、小蝉がわざとらしい咳払いをした。「僕は好きなひとができたら何があっても絶対に守り抜くよ。
頼りなく見えるかもしれないけど、僕だって男なんだからね。当然でしょ!
……助けて、みせる」
「なるほどなるほど。案外見かけによらないものだな」
元親が喉の奥でくつくつと笑う。「そういうあんたはどうなのさ」
「私かね? 私は、そうだね――」
元親の唇がゆっくりと弧を描く。「――――支配し服従させ隷従を誓わせる。
それが私の愛し方だ。
体も視線も呼吸さえも、私の思うままに従わせる。
苦痛を甘美に感じるまで、せいぜい調教してやろう――――」
「な……!」
底知れぬ凄みと陰惨な言葉に、夕蛾は息をのむ。「……あんたはやっぱり、最低だな……!」
かろうじて夕蛾が声をしぼりだした。「それでは、貴様は? 夕蛾」
「貴様は、“あれ”に何を与えてやるというのだ――――?」
「!」
「俺は――」
「俺は――――――」